直線4km、人の姿をほとんど見ない町で。

一夜明け、気持ちを切り替えて次の目的地を目指した。
ここまで来たのであれば「あそこ」へ足を運ばなければ。
そう思って、各駅停車で北へ向かった。


JR双葉駅で下車し、人の姿をほとんど見ない町を
シャトルバスで走り抜けてこの建物を訪ねた。


東日本大震災・原子力災害伝承館。
原発のこれからを不勉強なまま「べき論」で語り出すと
「分断」が始まり人間関係を損ねるのでまずはさておくが、
ある日突然ふるさとから何年も離れざるを得なくなって、
その中には未だ戻ることがかなわない人がいるという現実、
それにより生活や人生を狂わされた人がいるという現実、
地元での生業を捨てざるを得なかった人がいたという現実、
慣れない生活で体調を崩し命を失った人がいたという現実、
あれから間もなく15年という月日が経とうというのに、
これらのことが未だ「現在進行形」であるという現実。


(実際、シェアサイクルで町内を走ってみても
 町で人の姿を見かけることがほとんどなかった。)
そんな現実を受けとめて被災した人たちに思いを寄せ、
省みたその上で私たちがこれから進む道を考えることは
分断されているどちらの立場でも必要なことだと思う。


隣の産業交流センターから見えた「1F」の煙突。
至近距離だ。
(いずれ解体されると見えなくなるのだろうが。)
いろいろ考えさせられた一日だった。

カイザースラウテルン以来の無力感

明治安田J2リーグ 第25節
磐田 1-3 いわき @ハワイアンズスタジアムいわき (Live)


えーっと、もう1回言います(-_-;)
「君たちはこの3+1週間、一体何をしていたんだ!?(°ㅂ°ꐦ)」
ホントに何にもできなかったよな。
残ったのは、雨に打たれた疲れと無力感だった。


終わってからこういう空気感を生まないように、
みんながほのぼのと帰ることができるようで
あってほしいなぁ。

「この身折られど この身焼かれども」

80年目のこの日に考える。


ここで起きたことは想像を絶するほどの不幸なこと。
でも、ここが戦争における「最後の被爆地」であるなら、
私たち人類に、まだ未来はある。


この平和、朽ちてはならない。倒れてはならない。
苦難はあっても、空を目指さねばならない。

この国、今日はもっとこのことを考えてもいいのでは?

そうか、この地を最後に訪れてから、もう19年も経つのか。


磐田がJ1とJ2を行ったり来たりするようになってしまい、
磐田と広島が同じカテゴリーにいたとしても
スケジュール的に行くことができなかったこともあって、
こんなにも間が開いてしまったのかと。
でも、88年に初めて平和記念資料館を訪ねた時の衝撃と
2006年のビッグアーチへの遠征時に再訪した時に
改めて感じた思い、それは今も私の中にある。
一方で、21世紀にもなって核の使用をちらつかせて
隣国への侵略戦争を優位に進めようとしているような
時代遅れの大統領が隣国でエラそうにのさばっていたり、
「核武装が最も安上がり」と発言するような者が
国会議員になってしまったりする世の中になってしまった。
様々な憂いを感じながら、80年目のこの日を迎えた。

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