レベルファイブスタジアムPart4 その1

レベルファイブスタジアム Part4
2016年8月24日~8月25日(1泊2日)
明治安田生命J1リーグ 2ndステージ第10節
ジュビロ磐田 3-2 アビスパ福岡

磐田がJ2に降格した2014年に久しぶりに遠征して以来、なぜか毎年3年連続で夏休みが取れる時期にゲームが行われ、そのたびに遠征してきました。ということで、今回が4度目の遠征。3年連続だとさすがに使う交通手段も訪れる場所も「毎回同じ」になってしまいます。そこで今回は遠征のための交通手段も含めて「新鮮」なものになるように「これは初めて」というものをなるべく取り入れて行ってきました。
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まずは西に向かいます。豊橋からは新幹線?  いえいえ名鉄で。ということはもしかして中部国際空港?  いえいえ、名鉄名古屋で乗り換えたのは何と近鉄でした!! 名駅前の金券ショップで格安チケットを買い、大阪難波行きアーバンライナーに乗り込みます。
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大阪難波で地下鉄に乗り換えます。大国町で四ツ橋線、そして住之江公園でニュートラム、ということは・・・行先は南港のフェリーターミナルでした。
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今回、往路の足として選択したのはフェリーでした。名門大洋フェリーの「大阪丸」。これまでにも関西から別府方面の足として昨年の大分遠征時に「さんふらわあ」を使用していますが、名門大洋フェリーは初めて。博多直行ではありませんが、新門司行きということで、今回の遠征プランにばっちりな足なのです(^-^;
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船内は就航からまだ何年も経っていないということで、きれいでした。修学旅行の高校生などもいましたが、静かで落ち着いた船旅ができました。
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本来なら、旅費を安く上げるために2段ベッドなどの安い船室を使うところですが、今回はキャンペーン中で安く使えるということで個室を利用しました。窓はなく、狭い船室ですが、洗面台や机など必要なものはそろっていて、プライバシーも確保されていて十分満足です。
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出航です。九州までの瀬戸内航路、一晩の旅のスタートです。早速、船のレストランに入りました。
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瀬戸内航路では恒例の、明石海峡大橋通過前の夕食です。昨年の大分遠征時のさんふらわあのレストランには少しがっかりしましたが、今回はまずまず。バイキング形式の食べ放題。和洋中の料理の中から「つまみ系」のものを中心に、生ビールをかぷかぷ飲みながらいただきました。ちなみに生ビールは自動サーバー。サーバーにジョッキをセットし500円硬貨を投入すると自動で注いで程よく泡まで入れてくれます(^-^;
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瀬戸内航路恒例、「明石海峡大橋くぐり」です。この時になると、船室から大勢のお客さんが甲板に出てきます。神戸の沖合のあたりからボンヤリと見えていた、吊り橋のワイヤーにつけられた数々の灯りが少しずつ大きくなり、それがついに巨大な建造物と化して目の前に現れます。橋の上を行き交う多くの車を見て、約1か月前、徳島への出張の往復にバスであそこを走ったな、と懐かしく思い出しました。
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この夜の眠りはちょっと浅かったかな。ちょっとボンヤリとした頭で朝風呂を浴びた後、甲板に出てみます。島影多い瀬戸内を抜けて船は防府の沖合へ、既に旅は終盤です。
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旅の終わりです。船は新門司港に入ります。門司というと関門海峡を抜けるのか、と思いきや、新門司港は関門海峡に入らずに半島の反対側、町外れの山向こうにあるちょっとさびしい港でした。旅情、という意味では今ひとつかな。
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前述したとおり、新門司港は門司の街から山一つ越えた半島の反対側にあります。街に向かうには、無料の連絡バスに数十分揺られて山越えをします・・・(-_-)
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門司港駅でバスを降りました。これまでに何度も福岡遠征をしていながら寄ることがなかった門司の街を、ぜひ訪ねてみよう、というのが今回のテーマ。門司港駅を起点に、遠くなりつつある「昭和」の面影を探して歩くことにしました。(こういう駅名看板、ホントに幼い記憶にあるかないかぐらいのころの旧豊橋駅や旧浜松駅にあったような・・・。)
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駅のホームに直結している「関門連絡線通路跡」です。昭和の初めごろまでは、九州内から電車でたどり着いた人たちが、そのままここから地下にぞろぞろと流れて連絡船乗り場に向かったのでしょう。どこか埃っぽい空気の中、人々が行き交う活気ある光景が目に浮かぶようです。
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連絡船乗り場の脇には旧大連航路上屋が残っていました。中国・大連をはじめ、世界と門司が船で結ばれていたころ、国際旅客ターミナルとして用いられた建物です。今は館内が再整備され、ここから定期船が出発していた当時の様子がわかる資料が展示されていたり、イベントが開けるスペースが作られたりしていました。また、外には当時船を係留した杭であるボラードが残っていて、かつてはここまでが海だったのか、というのがよくわかります。気分は昭和初期にタイムスリップ、ですね・・・。
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残念ながら、門司港駅舎は現在解体整備工事中。こんな状態ですが、また福岡と磐田が同じカテゴリーになって遠征できるようになれば、きれいに修復が完成した駅舎と対面できるはずです。楽しみにしています。
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旧門司税関の赤レンガ庁舎です。明治45年(1912年)に建設され、昭和初期まで税関庁舎として使用されていたものです。空襲などで傷んでいたものを1995年に修復し、オープンしたそうです。2007年には近代化産業遺産に認定されました。
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暑い中、歩き疲れてちょっと楽をしたい、とばかりに乗り込んだのは、市内を走る観光用のトロッコ列車。正式には平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線というらしく、休止貨物船を活用する形で運行している門司港沿線を走る観光列車です。短い距離で、しかもトロトロとしか走らない列車ですが、ほのぼのとしていていいし、風も心地よく、数分の乗車ですが楽しむことができました。

〈「その2」へ続きます。〉

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