「私たちの行方」カテゴリーアーカイブ

ただ、ただ、切なく、やり切れない。

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この夏、家族で琵琶湖と比叡山を訪れた。
その際、近くの温泉宿に宿泊したのだが、
宿に着いた時、実は以前にもその宿に泊まったことが
あることに気がついた。
4年前、職場の旅行で京都と奈良を訪ねた時、
宿泊したのが偶然同じ、その宿だった。
見覚えのある展望大浴場で、外の景色を見ながら
その時のことを、いろいろ思い出した。
幹事をやってくださっていた先輩がそのあたりに座り、
湯につかりながら、いろんなことを話したな、とか。

その後、私もその幹事だった先輩も別の職場に異動したが、
昨年、その先輩が亡くなられたという連絡をいただいた。
特別親しくしていたわけではなかったが、
共に同じ職場で仕事と向かい合った仲間として、
御焼香をさせていただきに通夜に行った。
まだお若く、何ともやりきれない気持ちだった。

風呂に入りながら、さらに考えた。
あの旅行からまだ4年なのか・・・。
あの時、職場には素晴らしい上司がいた。
その旅行にも、一緒に参加してくださった。
宴会で他愛もない話をして楽しいひとときを過ごした。
いい方だった。
その方の下で、本当に気持ちよく働かせていただいた。
今の自分がある、その何パーセントかは、
その上司と、共に働いた仲間たちの支えのおかげだ。

昨年の4月、私は2年ぶりにその時の職場に戻ってきた。
そして私は、その上司の後任として、
その方が担当していた仕事を引き継がせていただいた。
とはいえ、その方の後任なんて自分などに務まるわけもなく
1年半近く経った今でも手探りの毎日で、
その方は、自分にとっての「お手本」だった。

今日、つらい知らせが職場に届いた。
その元上司の方が今日未明、亡くなられた、
ということだった。
急なことだったそうだ。
しばらく言葉を失った。
お手本を失い、支えを失い、
これまでのお礼を言うこともできなくなってしまった。
何ともやりきれなく、切ない思いで一日を過ごした。

日曜日、お別れの御挨拶のために、
スタジアムに行く前に、通夜に行かせていただきます。
「これまで、ありがとうございました。」

連休後半は「ポジティブ」に(*^-^*)

数年前、資格取得のために受講していた大学の通信教育で
「QOL」という言葉を知った。
「Quality Of Life」、
直訳すると「生活の質」ということなのだが、
食、運動などの健康的な日常生活レベルのことで
いかに体を健康に保ち、それらを低下させないように
守っていくことが重要かということが唱えられていた。
平均寿命は延びている中、それでも晩年に健康を損ね、
生活に様々な制限が加えられる、そんな人が多いが、
なるべくそうならないよう、「健康寿命」を高めることが
必要だということを学んだ。
もちろん、自分としても長生きはしたいが、
それだけでなく、なるべく長く「QOL」を保ちたいな、
なるべく長く、おいしく食事やビールをいただき続け、
なるべく長く、ジュビロ磐田を追いかけ続け、
なるべく長く、雪山に出かけ続け、
なるべく長く、温泉に入り続け、
なるべく長く・・・、と願ってきた。
しかしながら、だんだん、そうもいかないのかな、
年を重ねたからか、この頃、そう思うようにもなってきた。
そして、ついに自分にも、その「QOL」が損なわれる、
そんな時がやってきてしまった。
自由に酒も飲めない。自由に風呂に入れない。
挙句の果てには、自由に体を動かせない。
実は、先週からそんな生活になってしまっていた。
なぜなら、先週月曜日、背中に「メス」を入れたから。
背中に妙な「できもの」ができ、皮膚科を受診したら
「放っておいても、治ることはありませんよ。」
と言われてしまい、決意して取ってもらうことにしたのだ。
確かに背中の「できもの」を取るだけなのだが、
一応「手術」。
同意書を書き、局所麻酔をかけ、メスで体を切り開かれ、
患部を切除され、縫合される、なんてことをやってきた。
それからというもの、毎日ガーゼを取り換え、
風呂も最初数日は×、その後もしばらくシャワーのみ。
温泉好きの自分には、これは苦痛だ。
上半身を使う運動もできず、しばらくは酒も控え・・・。
なかなか進まない仕事への憂鬱感も加わって、
気分はネガティブになるばかり。
でも、何とか順調に回復し、今日、抜糸を終えた。
病理検査に出した患部も悪いものではなかったとのこと。
昨日は磐田も連勝したし、少し気持ちも上向き。
今日も仕事ではいろいろあったが、それでも何とか
連休後半に向けて、気分上向きにしたい、
そう思えた飛び石連休明けの皮膚科の帰り道だった。

そして、確実に時代は過ぎていく。

3月31日。毎年、この日は切ない日だ。
ここ最近の自分は短い期間で職場を変わることが続き、
そのたびに複雑な思いでやり残したことを片付け、
次の世界へと不安を抱えて移っていたものだ。
今年は見送り、そして次の方々を迎える立場だが、
新しい職場に来ていろいろ教えてくださった方、
そして自分を支えてくださった方と別れていくのは
切ないものがある。感謝したい。
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もう一つ、今日は寂しい思いで見送ったものがある。
「笑っていいとも!」が最終回を迎えた。
今日日中は仕事のため、生では見られなかったが、
録画して、帰宅後に見た。
学生の頃、午前中の講義を終えて一旦下宿に戻ると
丸いテーブルにもたれながら、さんまとタモリが
最高に面白い「世間話」をしてるのをよく見たものだ。
名物コーナーの「テレフォンショッキング」も、
日替わりで訪れるタレントに対して笑うだけでなく、
あれだけの返しができる「引き出し」の多さに
感心させられてきた。
一つの時代が終わる。そう感じた。

浦和の事件に思うこと。

今朝の新聞に、衝撃的なニュースが並んだ。
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初めは、この横断幕の掲出者が
「差別的な意図はなかった。」
と言っていた、という報道を目にして、
外国籍の助っ人があまりに役に立っていないから、
それなら日本人選手だけで戦うから結構だ、
という意図であの横断幕を掲げたのだと思っていた。
だから掲出者に対して「英語に弱いって不幸だな。」
(人のこと、言えるか!?)
と感じていた。
しかし、その後の続報によって、
最初からゴール裏に外国人客を入れないことをねらって
掲げたものであるということがわかってきた。
これには本当に、本当に、失望した。

ほかにも、いろいろ考えさせられることがあった。
一部のサポーターの、このちょっとした行為が
ここまで大きな事件になってしまうまでの過程だ。
今回、運営サイドがこの横断幕の事実を把握してから、
情報がトップまで届くのに、5時間近くもかかっている。
時間がかかり過ぎだ。
スタッフがこの手の横断幕に「慣れて」しまっていて、
事の重大性を認識する感覚が麻痺していたこと、
放置するとどうなるかという想像力が欠如していたこと、
そして浦和という組織内の風通しが十分でなかったことが
事をここまで大きくしてしまったのではないだろうか。
また運営側が、掲出したサポに対して撤去を求めたが、
一度拒否されただけで、腰が引けてしまっていること。
日頃から顔を合わせ、懇意にしている相手に対しては
不正、不祥事を見つけても言い出せない、強く出られない、
そんな「馴れ合い」の体質が、今回の悲劇を招くことに
つながったと言ってもよいと思う。
でも、これって何だか他人事ではないような、
そんな気がしてしまって・・・。
何があっても今回のことを「他山の石」にしなければ。
痛切に、そう思う。

さらば、「俺たちの能活」。

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早朝のNHKラジオ。スポーツニュースで、
「J2降格が決定している、J1ジュビロ磐田の・・・」
と流れ始めた瞬間、何となく、そんな気がした。
そしてその0点数秒後、それは現実のものとなった。
思えば最終節のピッチに現れた時、嫌な予感はした。
チームの立て直しはできなかった関塚さんだったが、
それでも最後に、これはサポへの「ラスト・プレゼント」
なのではないかな・・・と。
能活が磐田に来たのと、低迷期が始まったタイミングが
ちょうど重なってしまったこともあって、
ぼくたちは彼に、2010年のナビスコカップぐらいしか、
タイトルらしいタイトルを取らせてあげられなかった。
でも、それまで磐田の「穴」でもあった
GKというポジションを安定したものにし、
低落への負の加速度を何とか押しとどめてきたことは
疑う余地はなく、彼には大いに感謝している。
確かに、全盛期の神懸かり的なセーブは少なくなった。
でも、年齢による衰えを補うには十分な経験と読みで、
まだまだ十分に戦力となり得る存在だったはずだ。
特に昇格争いという、最後にメンタルがものを言う
大事な争いに飛び込んでいかなければならない来季、
彼の豊富な経験と精神的な強さ、そしてそれを基にして
南アW杯でも発揮された、影からチームを支える存在感、
これはあの「理念なきクラブ」には必要だと思うのだが、
どうもフロントはそうは思わなかったようだ。
人はどう言うかは知らないが、自分にとって彼は、
中山雅史に次ぐ「レジェンド」であり、
憧れの存在であることには変わりない。
これまでの功績に感謝したい。
そして、いつかは指導者として
磐田に戻ってきてくれることを期待している。
「これまで、どうもありがとう。」