「私たちの行方」カテゴリーアーカイブ

当たり年

結論から言ってしまうと、
9年間乗ってきたレガシィツーリングワゴンは、
まだ、わが家の駐車場にいる。


今朝、新レヴォーグと引き換えるつもりで家を出て、
ちょっと仕事を片付けるつもりで職場に寄ったのだが、
そのあたりから天候が急変、ものすごい土砂降りに。
台風も近づいていて、納車どころではない、
ということで、明日に延期してもらった。
(明日は午後から職場若手の結婚式で、スケジュール的に
 かなり慌ただしい一日になってしまったのだが。)
ただ、新しいレヴォーグとの出会いも楽しみだが
もう一日、このレガシィといられることへの安堵も。
不満があって手放すわけでもないし、
いろいろ自分にとって(磐田にとっても)大変な時を
一緒に乗り切ってきた「相棒」でもあり、
また、野沢や栂池、乗鞍でのいい思い出を共にしてきて
ちょっと別れが惜しくもあるのかな(^^;)
それにしても、今年は台風にいろいろ振り回されている。

ということで、ヒントです。

昨夜の私の「レガシーデロリアン・ツーリングワゴン」が
どこで撮影されたものか、今ひとつ難しかったようなので
ヒントとなる画像を。
まず、昨日のレガシィデロリアン。角度を変えて。


どこだかよくわからんなぁ。
というのも、私の記憶の中ではこんなに木が茂っていて
枝も張り、葉っぱだらけではなかったはずなのだが。
ってことで、デロリアンでタイムスリップ!!!!


卒業間際に実家から静岡に持ってきて
ちょっとだけ乗ってたスプリンター。
よ~く見るとわかるんだけれど、同じ場所。
あの頃は、枝振りももう少しおとなしくて、空や背景が
もっとよく見えたんだよなぁ。
うちの職場もそうなんだけれど、木の生長ってすごい。
枝をばっさばっさ落としてもどんどん生えてくるんだもの。
私にもそれだけの若さと生命力があればいいのだが・・・、
若くないかなぁ。
で、このデロリアンも明日、私の手を離れていき、
新たなレヴォーグが私の下にやってくるはずなのだが
果たして天候は大丈夫なのだろうか。
納車は延期すべき!?

車は空を飛ばないし、ホバーボードもないけれど。

本当は、今日は「勤続○年」の休日。
しかし、朝、職場に顔を出して、クリアしておくべき仕事を
片付けてから、まだ台風の影響が出ていない中、車で東名へ。
残り少ないレガシィツーリングワゴンとの最後の遠出として、
東へ向かった。
行き先はここ。


これでわかる人は、よほどのしょんないTVマニアか、
日帰り温泉マニアか?
(もしくは私の過去ブログを読んでいる人?)
久能山の下、すんぷ夢ひろばの日帰り温泉施設、
「天下泰平の湯」。


別に「しょんないランド」に特別な思い入れがあるわけでも
ないのだが、先代のレガシィの時のラストドライブでも
ここを訪ねたので、あれ以来久しぶりに行ってみようか、
ということに。
お盆休みも終わった平日ということもあるだろうが、
「賑わい」という意味では「寂しい」を通り越して
もはや「ロストワールド」的な状態。
前回も言ったが、せっかく久能山の中腹にあるのだから
駿河湾が見えるような展望風呂の作りにするべきだし
あとは温泉浴槽の湯の浄化を徹底すれば、価格も高くないし
悪くないと思うのだが・・・。
(市街地からの便が悪すぎかな:-))
ちなみに静岡は私にとって懐かしの地。
特にどこに行くというわけでもなく、いろんな道を走り
あれはまだ残ってるかな、ここはこんな風に変わったんだ
みたいな感じであちこち走り回って楽しんだ。
これがどこか、この画像だけでわかる人はすごいんだけど(^^;)


びっくりしたよ。
静岡は県庁や東静岡周辺はちょくちょく行くんだけれど、
大谷小学校前の大谷街道が片側2車線化してたり、
高松あたりにスマートインターができてたり、
一時停止の「止まれ」の下に「STOP」って書いてあったり。
「さぼおる」も油そば屋になっちゃってたし。
ここ数年の静岡市郊外の変化って、すごいんじゃない!?
私のレガシィちゃんがデロリアンになったみたいな
驚きの半日でした(^^;)

危機感、備え共に「空白地帯」。




震度6ってなかなか聞かない揺れだ。
どのぐらいの時間続いたのかわからないが、
恐怖だったことだろう。
4人の命が失われたこと、
特に登校途中の小学生が、自分の学校の校門を目前に
違法建築のブロック塀が倒壊し、その下敷きとなって
命を失わざるを得なかったことは残念でならない。
自分が10代の頃は「大阪は地震が起きない」と
根拠があるのかないのか、言われていたようにも思うが、
西で、東で、北で、地震が続き、
いよいよこの辺りだけ空白地帯で、ものすごく不気味だ。
さんざん言われてきたにもかかわらず、備えは薄い。
危機感を持たねばならない。
そして・・・、
変なデマをツイートし、それを真に受けて再送する
連中は、しかるべき処分を受けるべきだ。
こういう連中が関東大震災の時のような悲劇を起こすのだ。
本当に「浅い」と思う。情けない。

青空よ、心を伝えてよ。

(BGMには西城秀樹さんの「ブルースカイブルー」をどうぞ。)

「なぜあの日、駿府城公園に行かなかったのだろう。」
と思ったのは、今日が2度目。
それは昨年8月の「超ドSフェスタしずおか」。
最初に思ったのは小室哲哉が引退を発表した時。
そして2度目は今日、衝撃的な訃報に接した時。
歌手、西城秀樹さん(63)死去。
フェスタといえばヒデキ、ヒデキといえばフェスタ。
病で往年のダンスやアクションは難しいとはいえ、
もし静岡に行っていれば、彼なりの「精一杯」でもって、
ただの「ノスタルジー気分」に浸るだけでなく
前向きになれる「元気」を私に与えてくれた、はずだった。
無理をすればつけられた都合を、自分のだらしなさでつけず、
静岡に足を運ばなかったことが、今は残念でならない。
まだJ-POPなどというカテゴリーはなく、
「ニューミュージック」さえ市民権を得る前。
フォークやロックはメジャーでなくどこかアングラで、
邦楽界のメジャーは演歌とアイドルだけだったころ。
ただの下手くそアイドルではなく、子どもながらも
「観ても聴いてもカッコイイ」、思わずまねをしてしまう。
それが「ヒデキ」だった。
「傷だらけのローラ」の熱唱と絶叫、
「やめろと言われても、今では遅すぎた」と口答えして
叱られた「激しい恋」、
「ブーツをぬいで朝食を」のライターパフォーマンス、
熱海の夜景がよく似合ってしまう「抱きしめてジルバ」、
そしてもはや何も説明の必要のない「ヤングマン」。
まさに「子どもから思春期にかけてのBGM」だった。



最後にヒデキに会ったのは、そのフェスタの少し前の7月、
雨の等々力で行われた昨季の第19節川崎・磐田戦の時。
川崎市制記念試合のハーフタイムショーに登場して
豪雨の中、オープンカーで場内一周しながら
「ヤングマン」を歌ったのだ。
車に座っての場内一周だったため、あの「YMCA」の
振り付けは座った状態でしか観られなかったが、
敵味方一つになって等々力全体で盛り上がったのは
今でも記憶に新しい。
まさに世代を超えて親しまれた国民的スターだった。
それにしても・・・、
星野仙一さん、有賀さつきさん、衣笠祥雄さん、
大杉漣さん、大沼啓延さん・・・、
子どものころに、若かりし頃に、そしてつい最近、
活躍していた人が次々と・・・。
だんだん自分の順番が近づいている、
ということかな・・・。