「システム変更」なんかに負けない


昨夜は静岡市内で行われた本社の忘年会に参加した。
私たちは系列会社の支援のために
外部に派遣されている立場ではあるが
忘年会などにはいつも本社から声をかけていただいている。
本社のみなさんや他の系列会社へ派遣されている人たちと
膝を交えて話をする機会はなかなかないので
こうして声をかけていただけるのは本当にありがたい。
本社や系列会社の経営状況から、
私たちの派遣は、一部を除き今年度をもって終了することが
既に決まっている。
そのため、事業の縮小や退潮など先行きが懸念され、
私自身やりきれない想いに沈む今日この頃だったが、
「同志」たちと語り合う中で
残り3ヶ月、戦っていく「パワー」を得たように思う。
残念だったのは、今回「泊まり」にしなかったこと。
終電の時間を気にせずに話ができれば、
もっと「パワー」を得られただろうに・・・。
3月に予定されている送別会の時はホテルを予約して
時間を気にせず「とことん」行きたい、
そう思った。

スロースターター

昨日は早朝から静岡へ。
駿府公園や西草深、長谷通りあたりをうろちょろ。
「しずおか市町村対抗駅伝」の応援に来ていた。
葵区内の沿道での応援を終え、
ゴール地点になっている草薙の陸上競技場へ向かう。
「まだ伊藤圭介と松永直子はこっちにいるな。」
大画面で流される中継を見ながら
時計を気にしつつ、最終ランナーの到着を待った。

自分たちのチームのほかにすべての市・町のゴールを見届け、
13時前、早歩きで静鉄の県総合運動場駅へ。
静鉄、新幹線、東海道本線、シャトルバスを乗り継ぎ
キックオフ直前のヤマハスタジアムへ到着した。
「間に合った・・・。」
市町村対抗駅伝では私のサポートするチームが
大変よい成績を収めたが、磐田はどうだろうか。
いよいよリーグ最終戦のキックオフ。
「・・・!?」
先週とは全くちがうチームになっていることにびっくり。
スタメンが大幅に入れ替えられていたとかではなく
「人もボールも動くサッカー」になっていて、
しかも連動した動きができるようになってたこと。

オーバーヘッドシュートというものが
初めて「決まる」のを目撃できたし、
(林、お疲れさん。京都でがんばれや! また西京極で会おう。)
犬塚に至っては「先週と同じ人物か?」という変貌ぶり。
危険なシーンもあったが、90分間わくわくでき、
結果は開幕戦の裏返しの0-4。
スカッとしたと共に、
なぜシーズン通してこういうプレーが
できなかったのか、とも思えた90分だった。
ただし、リーグ戦としては球団史上最悪の9位。
この事実は重く受け止めてもらいたい。
選手たちは天皇杯で、
フロントは契約更改と補強で、
それぞれが果たすべき責任を果たし、
来季につなげていってほしい。

平成の「きかんしゃやえもん」


ちょうど先週の今ごろ、
大分遠征のため、九州に向かう列車に乗った。
特急「富士」号。
かつては単独で西鹿児島(現鹿児島中央)まで
運行された日本最長運転距離の旅客列車で、
「ブルートレイン」と呼ばれブームになった
九州行き寝台特急列車の一つだ。
他の東京発九州行き寝台特急が次々と廃止される中、
この「富士」は、熊本行きの「はやぶさ」と
小倉まで併結され、大分行きに短縮はされたが
現在も運行されている。
幼い頃、家の近くを汽笛と共に通過していく
ブルートレインを見送りながら、
「あの列車に乗って遠くへ行ってみたい。」
と思っていたが、今回その願いが叶うこととなった。
しかし・・・乗ってみて驚いた。
はげた内外装、前時代的な車内の装備や表示・・・、
昭和の雰囲気を残した「走る鉄道博物館」のようだ。
しかし、これらは「保存」のため残されているのではなく、
JRに「新たな設備投資」をする意志がないため、
そのまま運行されているだけ、のようだ。
民営化後のJRは、新幹線と最新の昼行電車型特急を優先し、
効率の悪い寝台特急から手をひく傾向にあるという。
旅情を誘う夜汽車は、もはや「時代遅れ」なのだろうか。
一部報道では、2009年春のダイヤ改正をもって
「はやぶさ」「富士」を廃止する方針とか。
わが家からブルトレを見送ることもなくなるのだろうか。
寂しい限りである。

(今回の観戦記を「Trip to the stadium」にアップしました。)

八湯制覇

「九州まで負け試合を見に行ったのか。」
という声をあちこちからいただいた。
確かに試合自体はあんなものだったし、
別府・大分も4度目にもなると
「刺激」がないと前回書いたが、
それでも「発見」はあったし、
「癒し」という目標は達成されたと思う。

一つは鉄輪に新しく建てられた蒸し湯。
鉄輪は毎回訪れていて、蒸し湯は以前からあったが
新築されて新しくなったのだ。

貸し浴衣を着て、渡されたタイマーを持ち、
石菖の葉が敷き詰められた天井の低い部屋に入り
約10分間、葉の上に横たわる。
岩盤浴と似ているが、ちがうのは
蒸気で蒸されて薬効成分を含んだ温泉の湯気が
部屋の中に充満していること。
体の下から、そして空気中の蒸気から肺を通じて
体内に入り込み、じわじわと効いてくる感じ。
体からはじっとりと汗が噴き出し、
タイマーが鳴る頃には浴衣はぐっしょり。
その後は浴場で上がり湯をいただく。
体への負担が大きいようで、
係の人が念入りに注意事項を説明してくれるが、
それだけ効き目もあるということだろう。
別府へ行ったら「要チェック」である。

また今回は、交通の便がよくないため
今まで訪れることのなかった柴石温泉も訪れた。

山あいの谷間にひっそりと建つ施設だったが、
新しく、手入れも行き届いていて安心して入れた。
ぬるめの露天風呂はずっと入っていられる快適さ。
半身浴で汗を流しながらのんびりと過ごした。
今回、ここに入ったことによって、「別府八湯」はすべてクリア。
ある意味一区切りだが、まだまだ別府は「深い」。
「温泉道」と言われる所以だろう。

ホスピタリティ


「生命に関わる重大な病気ではないこと、
 そして大分戦までに体調が戻ることを願って・・・。」
体調を崩していた時に、「願かけ」の思いで
大分行きの交通手段と宿の手配をした。
その後の検査の結果は「○」で、体調も回復し、
普通に飲食できるようになったため、
自分への「快気祝」として九州へ出かけることとした。
とはいえ、4回目の大分遠征。
回を重ねるごとに「知らない街を戸惑いながら歩く」という
アウェー遠征に対する「刺激」がなくなってきていて、
気持ち的に自分を盛り上げることが難しくなっていた。
そこで「今までとはちがう」を意識的に取り入れるとともに
別府での湯めぐりについては
「数をこなす」から「一つずつじっくり」にして
「癒し」をメインに据えてみた。
それでも、大分遠征はもう今回で「卒業」でいいかな、と
何となく思い始めていた帰りがけ、
ホーバー乗り場までタクシーに乗った。
送ってくれた運転手さんがこれまたよくしゃべる人で、私も
「大分遠征は毎年楽しみにしているんですよ。」
「負けたのは残念だけど、大分さんとまた来年やれるのは
 楽しみです。」
などと話しているうちに、ちょっとずつ気持ちが変化してきた。
最後にホーバー乗り場に着いて降りる時に、
運転手さんから声をかけられた。
「また、ぜひご利用ください。」
仮にまた大分を訪れる機会があったとしても、
指名でもしない限り、あなたの車を私が利用する可能性は
ほぼないはずである。
つまり、あのドライバーさんは
いち運転手としてでなく「大分のタクシードライバーとして」
声をかけてくれたのだ、と感じた。
(声のトーンに営業用のセリフとはちがう思いを感じた。)
来季以降、私の仕事をめぐる環境は激変することが予想され、
遠征はおろか、ホームでの観戦すらままならない可能性もある。
でも、事情が許すのであれば、また大分・別府を訪れたい、
改めてそう感じた。

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