「このくにの行方」カテゴリーアーカイブ

平成のその先に、5人の彼らはいない。



SMAPの時は、もうこれは立て直せないだろう、というのが
誰の目にも明らかであったが、今回はちがう。
今も人気はトップクラスだし、私には予兆は見えなかった。
それだけに衝撃は大きかった。
「嵐、活動停止」
バラエティから、CMから、そして歌番組から、
あと2年で彼らが消えていくのか。
正月のババ抜きももう見られなくなるのか。
平成の2/3をこのくにと共に歩んできた彼らが
5人そろって私たちの前に現われることは
しばらく、そしておそらくその先も難しいのだと
想像した時、ファンでない私もものすごい喪失感だ。
また、一つ時代が変わろうとしているのだ、
そう思い知らされたニュースだった。

ホントにホントに最後の「ありがとうございました。」



10日前にも来たばかりじゃん、と言われてしまいそうだが、
あの時は全く身動きが取れず、前の人の頭や旗、スマホで
全然お姿も拝めず、心の中で感謝の言葉も唱えられずじまい。
ということで、文字どおりラストチャンスとなる今回、
きちんと陛下に感謝の言葉を唱えようと、
前回よりさらに新幹線を一本早めて東京・皇居に向かった。
しかし・・・平成最多の15万4800人ですと!?
10日前の天皇誕生日の倍近いこの数字からもわかる混雑ぶり。
やっとのことで宮殿前広場に入ったら、既に陛下はお出ましで、
お言葉を話されようとしている状態。
慌ててカメラを取り出して数枚写真は撮ったが、
これだけで帰ってしまってはお姿を目に焼き付けて、
感謝の言葉を唱えるという今回の目的は達成できずじまい。
このままでは帰れない、と午後のお出ましを待つことにした。
すると何と・・・。
13時30分からのお出ましが、急遽放送で予告が入って
13時00分からに早まることに!?
これはおそらく、皇族方の昼休みを縮めて回数を増やすため
ではと推測したのだが、やはりそうだったらしい。
この日5回の予定を、最終的に何と7回に増やしたとか!?
なるべく多くの方を入れたいという両陛下の意向だそうだが
通常、こういう事情で陛下の予定を変更することはあり得ず
最後の最後まで、国民のことを思ってくださる両陛下に
心を打たれた。


お言葉を述べられる陛下。
今回は撮影は減らして肉眼でお姿を目に焼き付けようと努めた。
そして何度も、
「象徴としての30年間のお務め、ありがとうございました。」
と心の中で唱えさせていただいた。
平和を愛し、象徴天皇としてのあり方を考え続けられてきた
陛下の思いが引き継がれ、新元号に入っていくこれからも、
この国が平和で温かい国であり続けることを願いたいと思う。
そして、今回はこのお二人も結構はっきりと拝見することが!!


お目にかかれて恐悦至極(^^;)
そして、お美しかったです(^^;)
桔梗門への帰り道、これまた激混みではあったが、
どこかほっこりと心が温かい、そんな午後だった。

おだやかな年の瀬に感謝。



今年は早めに年賀状も大そうじも済ませたので、
午前中はNHKで「半分、青い。」の総集編、
午後はCBCで「陸王」の再放送で目頭を熱くして
今は紅白と、割合のんびりとした大晦日を過ごしています。
そんな中で、今年を振り返ると・・・。
とにかく、災害が多い年でした。
大阪府北部地震、北海道胆振東部地震と続いた地震、
平成30年7月豪雨(西日本豪雨)、台風21号と、
夏から秋にかけて立て続けに災害が日本を襲いました。
特に台風21号は静岡県内に大規模停電を引き起こし、
私自身も他地域より復旧が早かったとはいえ、
灯りも動力も通信もない生活を強いられ、仕事も影響を受け、
平時のありがたさというのをしみじみと感じました。
とは言え、この先予想される南海トラフ大地震は
別次元の被害が想定され、さらに覚悟と備えを固めることが
必要で、自分はどうするべきか、考えさせられました。
また、自分のちょい上世代、同世代の訃報も続きました。
一緒に人生を歩いてきた、と思っていた人たちとの別れに
改めて健康の大切さ、生きるって、生命って・・・、
そんなことも考えさせられました。

そんな重いニュースが多かった中で、
スポーツでは明るいニュースが多かったのが救いでした。
平昌五輪は日本人のメダルラッシュに沸きました。
自分自身、冬のスポーツを楽しむ者として嬉しかったし、
これが底辺拡大~普及~強化~歓喜~さらなる底辺拡大と
つながって、このくにに定着していくといいと思いました。
サッカーはワールドカップで8年ぶりのベスト16でした。
引き分け狙いの采配には賛否両論ありましたが、
選手を信じ、責任は自分で背負う腹を決めて打って出た
西野さんの覚悟には、いろいろ学ぶところがありました。
新たにそれを引き継いだ森保監督も、ここまでまずまずで
いいチームを作ろうとしています。
アジアカップでの活躍を期待したいです。
そして我らがジュビロ磐田。
何とかJ1にとどまれたことは何より。
ただ、なぜこんな状況に陥らなければならなかったか、
けが人のせいだけにせず、分析する必要はあります。
そして、来季に向けての立て直しを
補強も含めて基本構想からやり直してほしいです。
その上で期待を込めて、もう1年名波体制を見守りたいです。

さらにこのくに、この星の進む道について。
近隣の「三代目」がこれまた近隣の「お子ちゃま大統領」と
ある緯線をまたいで会談したり、
その「三代目」はまた「ビフ・タネン大統領」と会談したり
したようで、それ自体は悪いことではないのですが、
どうも「三代目」のいいように振り回されて
特に隣国の「お子ちゃま」はいいようにたぶらかされて
いるように見え、ホントに大丈夫なのか気掛かりです。
「ビフ・タネン」は相変わらず近視眼的だし、
この星を引っ張る立場であることが全くわかっていません。
「得意気な顔したこのくにのリーダー」は
今年は大きなところではなりを潜めていたようですが、
十分な思慮のないままこのくにの形を変えようと企てて
いる様子が見てとれ、来年は動き出すような気配があります。
どんな意図をもって動こうとしているのか、
十分に見極めることが必要だと思います。

とはいえ、こうしておだやかに平成最後の年越しが
できることは、何よりありがたい限りです。
来年も健康で安全に、そしておだやかに
平成最後の年、そして新元号元年と
時代の変わり目を自分自身も繋いで
佳き日々を続けていけたらと心から思います。
1年間、ありがとうございました。
どうぞ、よいお年をお迎えください。

長年の象徴としてのお務めに感謝



お誕生日、おめでとうございます。
先日、浜松にいらしたとはいえ、
(しかも雄踏!? って旧浜名郡じゃん!!)
平日でお目にかかることもできず、
もうお目にかかる機会はないかも、と皇居に足を運んだ。
しかし・・・8万2千人!?
私自身は夜明け前に家を出て電車と新幹線で東京へ。
和田倉門の行列に並んだのは皇居開門前の午前9時前。
しかし、今年正月の一般参賀とは全然違う光景が。
「この時間に来て、ここ!?」
何とか私は入れたものの、1回目の参賀には間に合わず。
私の後ろにいたおびただしい群衆の数から考えて
数万人が計3回の参賀に入りきれなかったのではないか?


そしてこの2つの画像からは、コンデジにしてはしっかり
陛下や皇族の皆様の姿をとらえているように見えるが、
実際にはほとんど肉眼では見えずじまい。
ものすごい人出で「圧」を感じながらというのは
今年の正月の新年一般参賀とは確実にちがう。
前の背の高い人の頭や掲げられる日の丸やスマホに遮られて
お姿を拝見することはなかなかかなわず、
隙間から時折ちらちらとお姿が見えるぐらいで、
とても「目に焼き付ける」というわけにはいかなかった。
せいぜいカメラを掲げて何となく数枚シャッターを切っただけ。
これぐらい肉眼で拝謁できていたらどんなによかったことか。
陛下もさることながら、佳子内親王を拝見したいというのも
一目的だったし(^^;)!?
いやいや、一番の目的は
「30年間、象徴としてのお務め、ありがとうございました。」
と感謝のお気持ちを念ずることだったのだが、果たせずじまい。
新年の参賀にもうかがおうか・・・検討中だ。

あの名古屋モーターショーから5年・・・。

もう、あれから1週間か。
ということで本日は、先週ヤマハスタジアムから磐田駅まで
一秒を争う中で自分を送り届けてくれたこの車を御紹介。


トヨタ、ジャパンタクシー。
東京ではもう主流になりつつあるが、地元ではまだまだ。
浜松あたりでは少しずつ見かけることが多くなってきた。
シエンタベースということだが、運転はしてないので
客として乗った印象しかわからないが、
降りる時に「どっこいしょ。」と言わなくてよい、
というのは、この歳になってくるとうれしいかな(^^;)
スライド式ドアも、狭い日本の道路事情から見て
ガードレールや縁石を気にしないで開閉できるよさ。
見た目もブラックキャブっぽいし。
地元にも導入されるとおもしろいのだが。