今日正午、私の家の隣にある文化財の復元事業の一つ、
「大御門」復元工事が完成し、開門イベントが行われた。
江戸時代に作られたまま国内に唯一現存する史跡であり、
これまでも地域の宝として大切にされてきたが、
当時あった門などは明治維新以降に撤去されていて、
東海道時代の面影が薄れていたため、復元したのだ。
史跡敷地内でなく国道の歩道上にこの門を復元したため
普通に歩道を歩くことでこの門をくぐることができ、
地域住民には生活に密着した文化財復元となった。
今日は私の尊敬する地域の長老と言える方のかけ声と共に
太鼓が打ち鳴らされ、ゆっくりと扉が開け放たれた。
京都などの大寺院の山門と比べればこぢんまりした門だが
街道を歩いてきた旅人の前に立ちふさがり、
先に進めるかどうかを認める施設の門としては
当時は十分な威厳をもっていたのだろうと思う。
実際、この門ができて周囲の雰囲気は確実に変わった。
これまでに進めてきた周辺道路の電線地中化や、
地域住民の協力による街並み整備と重なって
結構いい雰囲気になってきた。
門前に住まいを構える者として、これらは誇りだし、
家の外観をこの門に合わせてよかったと改めて思った。
これをきっかけに、この地域がさらによくなっていくと
いいと思う。
2015明治安田生命J2リーグ 第3節
磐田 0-1 讃岐 @香川県立丸亀競技場
外国人2人に頼り切っていたツケが出たな、と思う。
その外国人2人も、今日はキレがなかったのだが、
そうであるならば、その周りを支える小林なり、吉彰なり、
後ろから上がって上田なりが、点を取る動きをしなければ
常勝軍団にはなれないし、上位にはいられないだろう。
今日は前の2節に比べると、選手の運動量も少なかったし
選手を前後左右にくり出すボール出しも少なかった。
宮崎がいない影響ってのもあったんだろうな。
田中に替わって入った川辺もかみ合ってなかったし。
「J1でも通用する戦力と戦術」なんて言ってたけれど、
現状の限界が見えたような気もする。
試合後6時間経ってもオフィシャルに試合後コメントが
アップされないところを見ると、
監督も選手たちもよっぽどショックなのだろうか。
(飛行機の出発時刻の都合で記者会見できず、
さっさと帰らねばならないだけだったりして・・・。)
何はさておき、ここからさらに進化するためには
この敗戦をきちんと受け入れてチームとして総括することが
必要だと思う。
久々土曜日の試合だったのに、こんなことばかり書いてると
週末全体が憂鬱になりそうなので、気分転換にこの画像。
フェイスブックの方にも画像をアップしたのでこちらにも。
職場のご苦労さん会、昨夜近所の「くら」でやったんだけど
ここといえばやっぱりもつ鍋。
おいしかったんだけれど、気がつけばおしゃべりに夢中で
少ししか食べてなかったんだよなぁ。残念。
バカなんじゃないの?
日本人として、
隣国の、仮にも大統領たる地位にある男が
このような近視眼的な方法でしか、自国の危機管理や
長い目で見たこの星の将来のことを考えることができず、
また、それを軽々しく口にして世論の支持を得ようなどと
薄っぺらく考えることしかできないことに、
大きく、大きく失望した。
非常に不愉快だ。
2015明治安田生命J2リーグ 第2節
磐田 3-0 京都
@京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場
ホントなら、画像はこんな辛気臭いのじゃなく、
歓喜に沸く西京極の風景でアップするはずだったんだ。
宿も確保してたし、土曜日は梅を探しながら歩いてみようと
前から楽しみにしてたんだ。
なのに・・・。
先週初めからの体調不良と悪い天気予報に、
悩んだ末金曜日に宿をキャンセルし、遠征を断念。
(前日までキャンセル料不要、いい宿でしょう!?)
テレビ観戦となった。
結果として平日になかなか行けなかった医者にも
土曜日に行くことができたし、
そこで処方された薬がこれまたよく効いて、
すっかり体調も良くなったし、
今朝は、仕事上のお付き合いのイベントに顔を出し、
うちの所属から出ていたみなさんのがんばりも見られたし、
これはこれでよかったかな。
ただ・・・、
持ちこたえた天気の下、あれだけひたむきに走る姿や、
縦に力強く突き進む動きが見られたり、
最後まで体を張ってゴールを守る姿を液晶越しに見ると、
もう少し早く医者に行っていれば、行けてたかな、
なんて少し後悔・・・。
今日は「その日」でした。
あれから、もう4年です。
様々なことに思いをめぐらせながらの1日でした。
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