
(画像はNHKの中継画面を一部加工しました。)
一応、生で見て聞いていた。
最初から最後まで、通して。その後の記者会見も。
ううん。
「ダメだ」とは言わない。全否定などもしない。
一文一文聞いてくと、言ってることはもっともだし。
ただ、いろいろ思うところがあった。
それを少し、整理してみたいと思う。
最初は中学、高校の世界史、日本史をふりかえるような
「歴史講義」が延々と続いて、「?」と思った。
もっともこれは、政府としての明治以降の流れについて
公式の歴史解釈を表したという意味では
意味があるかな、とも思う。
ただ、そのわりには、満州事変、そして国際連盟からの脱退
から後が一気にすっ飛ばされてたけれど。
(そこが大事じゃないの?)
それよりも、聞きながら私が思ったのは・・・、
「これって、何人かの意見の寄せ集めでしょ。」
話があちこちへ飛んでみたり、
一つの話の中に同じような趣旨のことが
何回か繰り返し出てきたり・・・。
話について行くの、大変だった。
それに、既にメディアで言われているように、
前の2人の総理談話を「引用」するような形で
話を作る場面が多くて、
「結局、あなたはどう思ってんの?」
ってところが、ストレートにはわかりづらかったかな。
支持層である「右寄り」の皆さんへの配慮、
一方でリベラルな世論や中韓への配慮、
どっちもそれなりに気を遣わなければならない中で
自分としては触れたくないことが多かったんだろうな
というようにも感じた。
最後に。
「子どもたちに謝罪を続ける宿命を
背負わせてはなりません。」
というのは、私も「一部」は同意できるところもある。
ただ、それはその後に総理が述べた、
「過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。」
ということを誠実に続けることが条件かな。
あなたがそれをした上で、同じくあなたが触れた
「我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、
力の行使ではなく、平和的・外交的に
解決すべきである。」
ということを、実際の政治で示すことが必要だと思う。
本来明日、いろいろな思いと共にアップすべきところだが
明日は自宅を離れて落ち着いてアップできるか?なので
今日アップさせていただきました。
「戦後」と呼ばれる日々が、これからもずっと続き、
「戦争」と言われるものでつらい思いをする人たちが
この国から出ることがありませんように。
そして、世界からも。
(BGMには佐野元春の「警告どおり 計画どおり」をどうぞ。)

「なぜ?」が通らない、そんな世の中なのだ。
あれだけの大事故の反省も生かさないし、
人々の平穏な生活を守ることよりも、
見えない何かが動くことで潤う人たちの思いが優先される、
そんな世の中なのだ。
「すぐに」というのが難しいのであれば、
百歩譲って、そいつを動かしながらも並行して
「再生可能エネルギー」ってやつを
真剣に開発するように取り組んでみたらどうだろう。
それにすら消極的なのは、
やっぱり、見えない何かが動くことで潤う人たちの
思いだけを優先しているとしか思えないんだな。

この川が水を求める黒焦げの人たちで埋め尽くされてから
もう70年。
今、この街長崎は世界遺産のある国際観光都市として
生まれ変わり、新たな道を歩んでいる。
しかし、このつらい記憶を忘れることなく教訓にし、
「ここを人類史上もっとも愚かな兵器が使われた
世界最後の地」
にしなければならない。
そのためにも、この地球上で起こる様々な出来事に
一つ一つ注意を払って見ていかなければならない。
ここがこれからも
「世界最後の地」
でありつづけますように・・・。


70年めの夏、なのだ。
私自身が最後にこちらを訪ねてから、もう9年、
そして初めて訪ねてからは27年。
だいぶ時が経ってしまった。
しかしそれでもなお、その時にここで感じた衝撃は、
今でも心の奥深くで全身を貫くような痛みを感じさせる。
幼いころに社会科の教科書か資料集に載っていた
「過ちは繰り返しませんから」という
碑文の写真を初めて見た時、私自身も強く共感したし、
その決意は日本人共有のものだと、そう思い込んでいた。
でも、今、それはどうだろう。
耳を疑うような発言が国の中枢にいる人たちの口から
次々と飛び出してくる。
その人たちの話を聞いていると、
「原爆は戦争を早く終わらせるための正義」という
落とした側の国の詭弁以上に「?」と思えてしまう。
改めて、はっきりと言える。
「繰り返し」なんて、あってはならないでしょ。


1年前、現政権が集団的自衛権を閣議決定した時、
その1年後に同じ政権がそれを法制化しようとしたら
ここまでボコボコに叩かれるなんて誰が思っただろうか。
3年前、新国立競技場のデザインが現行案に決まった時、
着工直前になってここまで叩かれ、
ゼロベースで見直しになるなんて誰が思っただろうか。
「ふわっとした民意」は恐ろしい。
その国の向かう先を、ちょっとしたきっかけと
ゆるい「空気感」だけでいとも簡単に、
180度、ひっくり返していく。
1年前には現政権を手放しで礼賛していたのに、
ここに来て現政権を叩くようになった人たちとメディアは
一体どういう心境の変化があったのだろうか。
まさか、何だかんだ言ってくらしが何も変わらない、
そんな日々の不満の矛先、というだけで
現政権叩きに向かっているのだとしたら、
何と虚しく、情けないことだろうか。
今、本当に憂うべきことは、
「得意気な顔したこの国のリーダー」が
私が誇りに思っているこの祖国を
権力者がひとたび「シロ」と言えば、
どう考えても黒いものがそれは「シロ」となり、
「クロ」と言えば「クロ」となってしまう、
そしてそれをとがめるものがまったくなくなるという
まるで隣の隣の国のような情けない国に貶めつつある、
そういうことではないだろうか。
日本国憲法 第98条第1項
この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
同第99条
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
「いいのか?」
「おかしいだろ?」
その辺を踏まえた上で、信念と覚悟をもって
「得意気な顔したこの国のリーダー」を追究しなきゃ。
新国立の問題だってそうだ。
デザインが発表された時は無関心だった人たちが
今や急に「あんなものいらない」運動。
私は個人的には、
あのデザインがいいと信念を持って選んだのなら、
あのコンセプトとあのデザインでいいのでは、と思う。
「国立」なのに日本人のデザインではないところや
維持費がどれだけかかるかわからないところなど
(例えば豊田スタジアムの可動式の屋根のように
後で維持費が工面できないから今後は動かさない、
なんてことになっては情けない。)
何とも言えない部分もあるが、
世論の「空気」で「ゼロベースで見直し」なんてされて、
日本のどこにでもあるような、国体に合わせて作った
何の面白みもなく、普段は誰も寄りつかないような
薄っぺらく安っぽいスタジアムが出来上がる方が残念だ。
「空気」をそのような方向に誘導した人たちは
そんなポンコツが出来上がって満足なのだろうか。
これから何度となく訪れるであろう私にとっては
そんなポンコツスタジアムこそいらないってものだ。
「ふわっとした民意」
それは恐ろしく、また情けないものだ。
信念ある、覚悟ある民意でこの国が動いていくことを
切に願う。
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