「私たちの行方」カテゴリーアーカイブ

直線4km、人の姿をほとんど見ない町で。

一夜明け、気持ちを切り替えて次の目的地を目指した。
ここまで来たのであれば「あそこ」へ足を運ばなければ。
そう思って、各駅停車で北へ向かった。


JR双葉駅で下車し、人の姿をほとんど見ない町を
シャトルバスで走り抜けてこの建物を訪ねた。


東日本大震災・原子力災害伝承館。
原発のこれからを不勉強なまま「べき論」で語り出すと
「分断」が始まり人間関係を損ねるのでまずはさておくが、
ある日突然ふるさとから何年も離れざるを得なくなって、
その中には未だ戻ることがかなわない人がいるという現実、
それにより生活や人生を狂わされた人がいるという現実、
地元での生業を捨てざるを得なかった人がいたという現実、
慣れない生活で体調を崩し命を失った人がいたという現実、
あれから間もなく15年という月日が経とうというのに、
これらのことが未だ「現在進行形」であるという現実。


(実際、シェアサイクルで町内を走ってみても
 町で人の姿を見かけることがほとんどなかった。)
そんな現実を受けとめて被災した人たちに思いを寄せ、
省みたその上で私たちがこれから進む道を考えることは
分断されているどちらの立場でも必要なことだと思う。


隣の産業交流センターから見えた「1F」の煙突。
至近距離だ。
(いずれ解体されると見えなくなるのだろうが。)
いろいろ考えさせられた一日だった。

「この身折られど この身焼かれども」

80年目のこの日に考える。


ここで起きたことは想像を絶するほどの不幸なこと。
でも、ここが戦争における「最後の被爆地」であるなら、
私たち人類に、まだ未来はある。


この平和、朽ちてはならない。倒れてはならない。
苦難はあっても、空を目指さねばならない。

この国、今日はもっとこのことを考えてもいいのでは?

そうか、この地を最後に訪れてから、もう19年も経つのか。


磐田がJ1とJ2を行ったり来たりするようになってしまい、
磐田と広島が同じカテゴリーにいたとしても
スケジュール的に行くことができなかったこともあって、
こんなにも間が開いてしまったのかと。
でも、88年に初めて平和記念資料館を訪ねた時の衝撃と
2006年のビッグアーチへの遠征時に再訪した時に
改めて感じた思い、それは今も私の中にある。
一方で、21世紀にもなって核の使用をちらつかせて
隣国への侵略戦争を優位に進めようとしているような
時代遅れの大統領が隣国でエラそうにのさばっていたり、
「核武装が最も安上がり」と発言するような者が
国会議員になってしまったりする世の中になってしまった。
様々な憂いを感じながら、80年目のこの日を迎えた。

続けるって、すごいこと。

今年もお招きをいただいたので、足を運んでみた。


遠州新居、諏訪神社奉納煙火の前夜祭。
昨年に引き続き、今年も観覧席に御招待をいただいた。
この席に御招待いただくことはおそらく二度とない。
だったらとことん楽しんでやろうという思いで、
かつて通学路だった坂を登った。


様々な歴史の中でつながれてきた伝統をまた次につなぐ
若い人たちの熱い心意気に感動、そして感謝。
そして2年間、こんな間近で観る素敵な機会をいただき、
ありがとうございました(´`:)