「お出かけ」カテゴリーアーカイブ

それは、かけがえのない地球の記憶

分割して申請した夏休みの残り、2日間。
夜行バスを予約して西へ向かった。
行き先は広島。世界遺産をめぐる旅のスタートだ。
早朝、新幹線駅前に降り立った後、在来線側の入り口に移動。
路面電車で向かった先は原爆ドームと平和記念資料館だ。
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大学4年の時に一度訪れ、大きな衝撃を受けたが、
あれから自分も仕事に就き、またいろいろ知識も得た中で
改めて学びたいと思い、足を運んだ。
時間軸がずれているだけで、3次元的にはまさにあの日、あの時
地獄のまっただ中だった場所に身を置き、いろいろ思いをめぐらせた。
苦しむ間もなく瞬時に命を奪われた人々の思い、
生きながら地獄を体験した人々の思い、
その人たちを思い続けた周囲の人々の思い。
何ともやりきれない。
今回初めて知ったこと。
アメリカは「戦略上やむにやまれぬ理由」で
核を使ったのではなく、
その膨大な開発費用に対する国内世論の反発を納得させ、
戦後の国際社会でソ連よりも優位に立ちたいため、
それらが主要な理由で2発の核を使ったということ。
アメリカの保守連中がよく言う「戦争を終わらせるため」ではなく、
「合衆国とその政権の体面を保つ」ということのために
何十万の命が奪われたわけだ。
冗談じゃない。
救いは多くの外国人観光客も訪れ、熱心に見学していたこと。
彼らがこの「HIROSHIMA」で感じたことを
それぞれの国で伝えてくれることを願いたい。
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翌日は山陽本線とJRのフェリーで厳島神社へ。
海上の大鳥居が徐々に近づいてくる。
800年前、平清盛のころから続く海に浮かぶ美しい社殿。
優雅だ。
私が訪れた時は干潮から満潮に向かう日中の時間だったが
これが満潮の時間、また日が翳る時間だったら
またどんな風景だったことか。

2日間の世界遺産めぐり
とても有意義に過ごすことができた。
変なものを見たことを除いては・・・。

私、越後のちりめん問屋の隠居で、名は(以下略)

忙しゅうて全然更新できへん・・・。
(なぜ関西弁?)

先週の週末は、いとこの結婚式で新潟県の上越市に行って来た。
短い滞在だったので、
越後を十分満喫というわけにはいかなかったが、
車窓の風景から、さすが米どころ、そして豪雪地帯だな、
というのは感じた。
(新幹線のすぐ横がスキー場というのもすごい。)
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新幹線と特急で行ってきたが、帰りに越後湯沢で途中下車。
当然のことながら日帰り温泉にも行ったが、すごいと思ったのは
越後湯沢駅の構内にある日本酒の試飲コーナー、
その名も「ぽんしゅ館」。
500円払ってコインを5枚受け取る。
そのコインと借りたおちょこを持って
100種類以上あると思われる
日本酒のベンディングマシンのところへ。
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おちょこを好みの銘柄のところの抽出口にセットし、
コインを投入してスイッチを押すと
おちょこ1杯分のその銘柄の日本酒が注がれるというものだ。
これは楽しめた。

1杯のみ、香りや舌触りを楽しみ、おちょこと口を水ですすいで
また別の銘柄を楽しむ・・・。
さすが越後、酒どころ。
駅の中でも面白い過ごし方をさせてくれる。
でも、やはり静岡県西部地方からは遠い。
東京駅に着いただけで、
「戻ってきたな」と実感するなんて・・・。

ものづくりへの「揺るぎない信念」

昨日、仕事で名古屋を訪れた。
その折、名鉄栄生駅のそばにある「産業技術記念館」を訪れた。
旧豊田紡績本社工場跡に残っていた建物を改装し、
トヨタグループがものづくりの大切さを伝えるためにオープンした
記念館とのこと。
まずは、当時の建物をそのまま利用したレトロな外観にビックリ。
日本が未来に夢を抱き、
ひたすら「前」を目指していた時代の雰囲気が漂う。
館内に入る。
繊維機械館、自動車館などに分かれて、
豊田佐吉以来、現代までのトヨタグループの
ものづくりの足跡が紹介されていた。
湖西の豊田佐吉記念館だったか、
織機の展示は前にも見たことがあったが、
ここでは当時の機械を実際に動かして見せてくれて、
その工夫や変化を実感することができた。
そして織機の成功で終わることなく、
次の時代を見据えて自動車の研究に取りかかる様子、
さらに現代のトヨタ自動車に至るまでの製品や
製造法の進化を追っているうちに
時間があっという間に過ぎてしまった。
もちろんそこには
「売って金をもうけたい」という意志はあるにせよ、
根底には「いいものを作りたい」、
そして「世の中を豊かにしたい」という
「揺るぎない信念」があり、
それに向かって進んできた人たちに心を打たれると同時に、
「うらやましさ」を感じた。
自分もこの人たちと同じような心持ちで生きていきたい、と感じた。

「地球の未来に会いに行く」2 (Final)

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閉幕が迫り、連日大混雑が報道される中であったが、
改めてもう一度「愛・地球博」を訪れた。
企業パビリオンは事前予約も取れなかったし、当日も無理。
でも1度目の訪問で外国パビリオンの半分近くを回り残していて
「長久手日本館」も入ることができなかった。
「もう一度」という思いと、手元に残っていたもう1枚の入場券。
これは行くしかないということで混雑する週末を避けて出かけた。
予想以上の混雑に、前回のように外国館をハシゴして、
「世界のビールと味めぐり」を十分堪能、
というわけにはいかなかったが
アゼルバイジャンなど、
名前しか聞いたことのなかったような国を知ったり、
イタリア館で古代ギリシャのブロンズ像
「踊るサテュロス」を鑑賞したり、
気になっていたけれど、前回食せなかったものを食べたりでき、
満足できた。
長久手日本館では約2時間の待ち時間に耐えることとなったが、
私たちの生活が豊かになってくる一方で
自然とのつながりがどれだけ失われてきたかを
考えることができたし、
(展示物中に93年のJリーグ開幕の映像も含まれていた。
懐かし!)
「全天球型映像システム」ってやつは時間こそ短かったが
360度ならぬ、上下・左右も含めた素晴らしい映像に
陸・海・空を本当に飛び回っている感じにさせてくれて、
地球の素晴らしさを実感することができた。
行ってよかったし、「心のこり」はクリアできたように思う。

さて、22時の閉園が迫る中、今回もオーストラリア館へ。
前回と同じくバーが出ていて、
今回はバンドの生演奏で盛り上がっていた。
演奏終了後もバーは営業を続けていて、
私も残ってビールを楽しんでいると
やっぱりみんな考えることは同じなのか、
名残を惜しむような人が集まってきて、
クラウンラガーなどの好みの飲み物を注文していた。
入場者以外にも、仕事を終えた近くのパビリオンの
職員も集まってきて、いろんな国籍の人が語り合っていて、
国際博覧会ならではの雰囲気だ。
名駅に向かう地下鉄東山線の車内でも、
イスラム風の服を着た女性とパビリオン職員風の日本人とか、
白人男性と万博関係の職員風の人が
談笑する様子が見られたが、こんな風景もあと1週間かとか、
終わったらみんなそれぞれの国や企業、
派遣会社へ帰っていくのかな、とか考えてしまった。
W杯でも花博でもそうだったが、
おしまいというのはさびしいものである。

「愛・地球博」紀行 その2、何とか公開!!こちらへ。
一応、バックナンバーとして「その1」も。

「地球の未来に会いに行く・・・。」

 (BGMにはQueenの「愛という名の欲望/CRAZY LITTLE THING CALLED LOVE」をどうぞ)
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既にお察しの通り、「プロジェクトABC」のAは、「Aichi」の「A」。
万博とライオンキングをセットにして遠征してきた。
朝一でゲートに並ぶはずがちょっとばかり寝坊して、
中に入れたのは開園から1時間遅れ。
目を血走らせながら当日予約ができる企業パビリオンを探したが
見当たるのは既にカバーを掛けた当日予約機や
「本日分は終了しました。」の張り紙。
当然、トヨタグループ館も日立館も整理券はなし。
カリカリしながら三菱未来館の一般入場の列に並んだ。
待つこと30分あまり。ようやく中へ向かって列が動き出す。
その間も
「この後、あそこに並んで、そうすればちょうどいい時間で
予約してきたパビリオンの入場時間になるから・・・。」
と頭の中で、ああでもない、こうでもないとめぐらせていたが・・・。

すばらしい映像と音響を駆使した三菱未来館に心を打たれた。
「全ての生命は微妙なバランスの上に成り立っていて、」
(これは翌日観たライオンキングのムファサの台詞から拝借)
我々はその上で「生かされている」のだ、ということを
心の底から感じた。
パビリオンから出た後、それまで
「一つでも多く企業パビリオンを!」
とあくせくしていた自分がバカバカしくなった。

ということで、そこから後は予定変更。
無理して企業パビリオンを回ることはやめ、
待ち時間のない外国パビリオンを回りながら、
「12時間世界一周、食い倒れの旅」!!
いつか機会があったら御紹介するが
東南アジア、南アジア、中東と、
アジア系のパビリオンを見て回りながら、併設のレストランで
うまいものめぐりと現地のビール三昧で楽しんだ。
さすがに中東はビールを提供するパビリオンはなかったが、
イラン館では濃厚な紅茶を楽しんだ。
月の石も、毛の生えたマンモスも見たし、
閉園間際にはオーストラリア館の前で
白人のお兄さんの素敵なサクソフォンの演奏を満喫。
次々と演奏されるQueenやPolice、
Elton Johnなどのナンバーに
周囲では陽気な外国人がビール片手に盛り上がったり、
オーストラリア館の職員や警備員
(現地から来たのだろうか、白人のオジサン)も混じって、
演奏に合わせてダンスに興じたり。
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いつの間にやら私もその輪の中に入ってしまい、
ブルース・スプリングスティーン&クレランス・クレモンズのごとく
一緒にかけ合いながら踊って周囲の拍手をいただく始末(^_^;)
(画像がないのが残念!)
いやはや、ホントに楽しかった。
(22時になっても演奏が終わる気配がなく、
周囲を博覧会協会の職員がこわい顔をして取り囲んでいたが、
あの後、サクソフォンのお兄さんやオーストラリア館の責任者は
協会から怒られなかっただろうか・・・?)
いやぁ、満喫。外の緊張した世界情勢を忘れてしまいそうな
ひとときだった。
しかし私がここで「世界」を楽しんでいる間に
実際にはエジプトではテロが・・・。
思えばここに入るためのゲートでは、
これでもかというぐらいの持ち物検査。
あのゲートの中のあの素敵な雰囲気は
「つくられた世界」だったのか?
そうは思いたくないし、人類はそこまで愚かではないと信じたい。