ハワイアンズスタジアムいわき その3

ハワイアンズスタジアムいわき
2025年8月10日~8月11日(1泊2日)
明治安田J2リーグ第25節
ジュビロ磐田 1-3 いわきFC



南側を臨みます。一面の雑草地が広がっています。でも、ネットで少し前に撮影された画像を見ると、ここには除染作業で出た土を格納したフレコンバッグが大量に置かれているのが写っていました。その後、どこかに移されたのでしょうか。でも、その行き先は?
そして森の茂みの向こうに、「あれ」が見えました・・・。


福島第一原子力発電所。現地では「1F」と呼ばれます。言うまでもない、東日本大震災の時に国際原子力事象評価尺度(INES)で最悪レベル「レベル7」の原子力災害を起こしたあの原発です。今なお周辺市町村に暗い影を落とし、復興を滞らせる負の遺産です。
あれだけの事故を起こした原発を、肉眼で見ることができるこの距離まで近づけるようになったわけですが、ここにいて本当に大丈夫なのだろうかという不安と、よくぞここまで除染してくださったという驚き、そして感謝を感じます。本当に多くの人たちが命がけで苦労をされてここまでたどり着いたのだろうと思います。


産業交流センターを出て、隣にある東日本大震災・原子力災害伝承館に向かいます。東日本大震災と津波に伴う原子力災害(福島第一原子力発電所事故)を後世に伝えることを目的として2020年9月に開館しました。


中に入ると展示室に入る前に、スクリーンのある円形シアターに通されます。こちらでまず福島県出身の故・西田敏行さんが語りを務めるプロローグ映像を観て、その後から展示室に進みます。(西田敏行さんの台詞に「自分が元気なうちに廃炉がかなうか」という言葉があり、心に深く刺さりました。)また、1日に数回ほど、語り部によるお話が開催されていて聞くことができます。撮影はできませんでしたが、私も参加させていただき、情報のない中で右往左往せざるを得なかった住民の皆さんの苦労に思いを巡らせました。


展示は、震災発生前のこの地域の様子から始まります。「原子力 明るい未来のエネルギー」というスローガンの下、原発を核にしたまちづくりが進められていたことなどが展示されていました。


地震発生時、そして津波到達時で時を止めてしまった時計が展示されています。


津波によってコンクリートの基礎ごと流されてしまった郵便ポストなども展示されて、津波の恐ろしさを物語っています。


どこのホワイトボードかはわかりませんが、刻々と入ってくる情報を書き上げながら、現状を整理し、この先の対応を考えていたのでしょう。緊迫感がうかがえます。そのほかの様々な展示からも原発事故後の対応や、故郷を離れざるを得なくなった人々の思いなどを知ることができました。


伝承館の展示だけでなく、実際に町に出てその空気感をつかみたいと考え、帰りの特急までの時間がまだあったので少し外に出てみました。ちょうど、産業交流センターのところにシェアサイクルが1台だけ残っていました。そちらを拝借し、まずは海を見たいと思い、東に向かって走りました。


防潮堤の上を走ってみます。雰囲気は湖西の海釣り公園の「今切の丘」近くの防潮堤に似ています。
第一原発のある南方向を見ると、三角屋根の建物が見えます。あの建物はマリンハウス双葉という海水浴場に隣接したトイレやシャワー、休憩所などがあった建物で、震災時は住民が3階に避難して津波の難を逃れたという話を聞きました。そしてあの建物あたりから南側が、帰還困難区域で立ち入りを制限されているようです。


産業交流センターの屋上の展望室から見えた「1F」の煙突。堤防の上からも肉眼で見ることができました。


先ほどの海岸沿いのT字路に戻り、その先が通行制限中となっていた方向へ道を進んでみました。この道は「1F」へと続く道です。ほどなくバリケードが現れます。ここから先は帰還困難区域。線量も高いのかもしれません。道の先には海水浴場への案内標識も見えます。何とも言えない気持ちで引き返しました。


産業交流センターに戻り、自転車を返して中のフードコートで遅めのお昼をいただきます。
せんだん亭というお店で浪江焼きそばをいただきました。混んでいると待ちます。私も20分ほど待ち、私の次の人が最後で、そこから後は売り切れでした。(遅い時間に行かない方がいいかもしれません。)
浪江焼きそばは、うどんよりも少し細いぐらいのコシのある極太麺をもやしと共に炒めた独特のものです。キャベツも紅ショウガもありません。その上に厚手のバラ肉のトッピングが乗ります。大盛りもできますし、肉増量もできますが、この私でも普通盛りで十分おなかがふくれました(^^;) 濃いめのソースがよく麺に絡んで本当に美味しい。太麺をあまり好まない私も箸が進みました(^^;)


帰りの特急の時間が近づいてきました。シャトルバスで駅に戻ります。
駅の西側には災害公営住宅が作られていました。ただ、本当に人の姿が見えないのです。猛暑のせいで屋内にいるのかな。家などに車が止まっているのは見えましたが。


双葉駅で特急ひたち22号を待ちます。よく見ると、駅の反対側のホームにはかつての線路の跡が。かつてはこの区間も複線だったようです。調べると、震災後の復旧の際に大野・双葉間で線路を撤去して単線化したようです。


特急ひたち22号が到着です。東京まで2時間以上。長い「浜通り」の帰りの旅が始まります。


双葉町出発直後の車窓から見える街並み。生い茂るヤブカラシやセイタカアワダチソウなどの雑草の中に点在する家々を見ながら、ここは「帰還困難区域」の解除はされているのだろうか、という思いが心をよぎりました。

〈”TRIP TO THE STADUIM”に戻ります。〉

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