「私たちの行方」カテゴリーアーカイブ

「1995.1.17」



30年前。あの日のことは今でも覚えている。
成人の日を含む連休明けだったけれどやるべきことが多く、
前夜からそれにかかりきりで、やりかけのまま
こたつの中で眠り込んでしまっていた。
明け方ふと目が覚めた時、窓は閉めていたはずなのに
何だかすーっと空気が動く気配を感じた。
その後、床が動き、家具が軋み、地震だと感じた。
地震はいつもそれなりに経験していたけれど、
あの空気が動く気配はこれまでに感じたことはなく
どこかただならぬものを感じてテレビをつけた。
その時点では地震が起きたことしか伝えていなかったが
驚いたのは、震源は近畿地方だと報じていたことだった。
その後、朝の支度をしながらだんだん入ってくる情報は
想像を絶するものだった。
大変なことが起きた。神戸の友人はどうしているだろう。
いろいろなことを考えた。
友人の無事がわかったのは、かなり後のことだった。
でもよかった。安心した。
その後、遠征等で何度か神戸を訪れた。
時間があれば足を運ぶのは「人と防災未来センター」。


80%へとリスクがアップした南海トラフ地震エリアの
真っ只中に住む自分としては学ぶべきことがある。
ただ・・・意識を高く持ち続けるのは難しい。
それを痛感している。

今は「成人式」とは言わないんだよ!

(今さらどこの市かわからないようにしてもどうなのか)


仕事の関係で、地元自治体の「はたちの集い」に参列。
今は「成人式」とは言わない。成人年齢は18歳だから。
中には見た目が結構「エッジが効いてる」若者もいたが、
式典が始まれば、ちゃんとわきまえていた。
代表で誓いを述べたお二人も立派だった。
みんなエネルギーがある。いいことだと思う。
自分もマインドは彼ら、彼女らとあまり変わらないと
思うんだけれど(´`:)ってそれはかなり無理があるか(^^;)
(顔文字使ってる時点で)

ダメージは癒えていないが

恵方巻のCMが始まると、正月が過ぎていくな、と感じる。
この年末年始は特にスキーなど遠方へのお出かけはなく、
ゆとりをもって過ごせたが、どこか空虚だった。
お出かけ等をして心をリセットできなかったことで
年末までの繁忙期からの「闇」もどこか引きずったまま。
そのような中でも、古き友とおいしい中華をいただいて
語らうことができたのは、数少ない救いだったかな。


土鍋? に入った麻婆豆腐。ピリ辛で美味。話も弾んだ。

明日、いよいよ仕事初め。そしていきなり繁忙期(°°;)
「持ちこたえる」だなんてディフェンシブなこと、
言ってちゃいけない。
ここから「攻め」に転じる足がかりをまず築かなければ。
リスクマネジメントを忘れずに、反転攻勢・・・、
そんなこと・・・できるかな(-_-)

明るい出口に向かって

紅白をのんびりと見ています。
リョクシャカはいい曲で、せっかくNコンの中学生と
一緒に歌う企画だったのに、曲が縮められていて残念。
aikoは短縮は最小限にとどめられていて何より。
映画「名探偵コナン」のテーマになっていたこともあって、
ステージでもそのコラボレーションが見られました。
ここまで押し上げてくれたコナンに感謝です。

今年もいろいろありました。


漢検協会が発表した今年の漢字は「金」だったそうですが
私にとっては「難」かなと。
いろいろ難しいことが相次ぎ、自分の小ささを感じました。
五輪での選手たちの活躍は見事なものが多かったのですが
サッカーについては男女共なかなかそこから先に進むのが
「難」で、また一から「出直し」という結果でした。
ジュビロ磐田も力及ばず1年でJ2へ…(-_-)
「難しさ」にフラストレーションが重なった1年でした。
それでも元NHK山本浩アナの97年日韓戦の言葉を借りるなら
「しかし、このトンネルには明るい出口があると信じて
 戦わなければなりません。」

なのです。
磐田については、藤田俊哉SDをはじめとするフロントが
いろいろ考えている「はず」ですが、自分のことについては
「自分で何とかするしかないものね・・・。」
そんな想いをもって新年を迎えたいと思います。
困難な中、力になってくださった皆様、
「ありがとうございました。」
そして、
「どうぞよいお年をお迎えください。」