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お見舞い申し上げます。

20061216yamada-ryokan

私が長野県北安曇郡小谷村を訪ねたのは2006年のこと。
栂池高原でのお泊まりスキーだった。
シーズンイン直後で滑れるゲレンデは限られていたが、
白馬のビッグゲレンデで思い切り楽しめる、という思いが、
自分をハイテンションにしていた記憶がある。
夜には宿から出て小谷温泉の山田旅館という温泉宿で
非常に上質なお湯の掛け流し温泉を楽しんだ。
この宿は、本館が江戸時代に建てられた木造3階建てで
宿場町の旅籠のような雰囲気をもっていて、
いつかは入浴だけでなく、泊まってみたい、
そう思っていた。
あれから8年、再び訪ねることなく今に至っているが、
そんな先週末、驚くべき災害がこの地を襲った。
長野県北部地震、被害はこの小谷村と白馬村に集中した。
ここ2年ほどは白馬方面には足を伸ばしていないが、
それまでは毎年のように訪れていた場所だ。
果たして被害はいかがなものか、と心配していたが
栂池、白馬五竜、八方、すべてスキー場への被害はなし、
前述した山田旅館も、ネット上の情報では無事とのこと。
まずは安心した。
早く余震等が収まり、雪が降る前に復旧が進むことを
心から祈っている。
今年、長野県は大きな災害で本当に大変だったと思う。
ただ、松本山雅のJ1昇格など、来年に向けて希望もある。
木曽共々、頑張ってほしい。応援している。

「こんなもの、いらないやい!!!」

2014 Jリーグディビジョン2 第42節
磐田 1-1 札幌 @札幌ドーム

「昨日はグランドホテルに行きましたか?」
今朝、職場で何人もの人からこんな声をかけられた。
「行きませんって。シーズンはまだ終わってないですよ。
浮かれてパーティーなんてやってる場合ですか。」
なんて気を張りながら、答えてはみたものの・・・_| ̄|○
「あと2週間楽しめるじゃないですか。」
という励ましともおちょくりとも何とも言えない声かけに
ますます・・・orz
20141124ticket

昨日、こんなのが家に届いたよ。
こんなの、いらないやい!!!
直接味スタに行きたかったやい。
何だ、FK一発に沈みやがって。
その後よく追いついた!?
パワープレーで1点取るのがやっとで、
流れの中からは結局何もできなかったじゃないか。
これで下半期に千葉にも山形にも勝てない磐田に、
ここ6試合、勝ちがない、そんな磐田に、
何を期待しろって言うのだ?
もちろん、あきらめてはいないよ。
ただ、あまりにも悲壮なチャレンジであることに
何ともいえず失望感を隠せないのだ。

最後の失点が余分。

キリンチャレンジカップ2014
日本代表 6-0 ホンジュラス代表 @豊田スタジアム
日本代表 2-1 オーストラリア代表
@ヤンマースタジアム長居

しばらくさえないゲームが続いていた日本代表だが、
大会前最後の親善試合で2連勝できたこと、
何よりも、宿敵オーストラリアに勝って
アジアカップ本大会を迎えられるのは大きいと思う。
特に同じアジア勢であるオーストラリアを相手に、
セットプレーで敵を出し抜きフリーでゴールを決めたり、
サイドを崩した形からトリッキーなシュートを決めたりと、
見ていて痛快で楽しかった。
(普段よく見ているへっぽこクラブのちぐはぐな攻めや
 スカスカの守りに慣れてしまっているから
 そう見えてしまうのだろうか。)
ただ、最後の失点はいただけない。
麻也、しっかりしろ!!!

いつまでもかっこよく歳を重ね続けていくと思っていました。

20141118ken-san

このことでアップしておきながら、
実は、特別にファン、というわけではないのである。
サッカー場には毎週のように足を運んでおきながら、
映画館にはなかなか足が向かない、
そんな私にとって、健さんを見るのは、
テレビで放映される映画劇場か、衛星放送ぐらいだ。
ヤクザ映画というのも好んで観るわけでもないので、
健さんが輝きを増し、その人気を確立していった、
そんな時期のことは、よくわからない。
ただ、小学校の高学年か中学生ぐらいの頃にテレビで見た
「幸福の黄色いハンカチ」については、
幼いながらも、そのまっすぐな生き様に引き込まれ、
目頭を熱くしながらブラウン管を見つめていた、
そんな記憶がある。
役柄だけでなく、人として、男として、
かっこよかった健さん、残念だ。
また一つ、昭和が遠ざかった、そんな気がする。

経営者とは、かくあるべきなのだ。

この方が社長でなければ、磐田がJリーグに昇格して
あんなに短期間で強くなることはなかっただろうし、
あれだけの選手をそろえて、魅力的なサッカーを
展開できるようになることはなかっただろう。
ということは、私がジュビロ磐田というクラブに
「ハマる」こともなかっただろうし、
ホームゲームに足繁く通ったり、
チームを追って1か月の間に2回も九州に足を運んだり
するような生活をすることもなかっただろう。
つまり、この方が社長でなければ、私の日々の生活は、
今とは大きく違うものになっていたはずなのだ。
(だとすれば休日は一体何して過ごしていたのだろう? )
20141113_good-bye_president

ジュビロ磐田というクラブに力を与え、
Jでの躍進を通して、この遠州地方に活気をもたらし、
多くの人々のくらしに「わくわく」の種をまいた
偉大なクラブ経営者、元ジュビロ磐田社長の
荒田忠典さんが亡くなられた。
かなり前、もう10年以上前のことだろうか、
負け試合の後に新横浜駅で帰りの新幹線を待つ間、
側近の方と、新たに補強した外国籍選手について
熱く語っている姿を見かけたことがあったが、
クラブを思う気持ちの熱さ、強さが伝わってきて、
今日はダメだったが、この社長に任せておけば、
またクラブは上向いていくにちがいない、
そう信じさせてくれる社長だった。
どうだ、その後の社長たちは。
荒田さんの貯金を食いつぶしてるだけじゃないか。
荒田さんの半分でいい。
クラブ愛とビジョンをもった経営者が現れてほしい。

荒田さん、本当にありがとうございました。