「この「地域」の行方」カテゴリーアーカイブ

ある意味、うらやましい。ある意味、シンパシー。

このサイトを見ている方は、私は昨日という一日を
「京都」で過ごしたと思っておられるかもしれないが、
実は京都にいたのは、磐田vs京都のゲーム時間+αだけだった。
(だって西京極駅からスタジアムまでは、ダッシュだったもの!)
確かに家を出る直前までは、上賀茂神社+下鴨神社という
私が今まで訪れたことのない「世界遺産」を訪ねる計画だったが
急転直下。出発直前にその計画は無期延期、行き先を変更。
以前わが家の近くに住んでいて国の仕事もしていた
Tさんと会うために、兵庫県の姫路を訪れることになった。
18時のゲームに間に合うよう西京極に戻らねばならないため、
姫路にいたのは3時間足らずだったが、いい経験になった。
姫路といえば姫路城。こちらも「世界遺産」だ。
私にとっては20年ぶり、3度目の姫路城。
(最初の訪問は高校の修学旅行、2度目は当時の職場の旅行、
 ある意味、ものすごく懐かしかったぁ。)
Tさんはそれを後世に残すことの大切さを伝えようと努めている。
何かそのサポートができればと、うかがったのだが、
改めて、すごいね。このお城。

大修理の工事中ということで、天守閣には入れなかったが、
(これじゃ、松平健もロケができないな・・・(笑))
改めてその規模、そして再建ではないことから伝わってくる
「戦いに備える城」としての当時の人々の知恵の数々
(この城は戦乱を経験していないそうだが)に
改めて敬服し、それが今、目の前にあることや、
それを伝えようとしている人々が大勢いることに感心した。
姫路の皆さんにはこんなNational treasureが地元にある、
そんな素晴らしい現実に
誇りをもって、受け継いでいってほしい、という気持ちを感じた。
私の家のそばにも世界遺産ではないが文化財がある。
姫路の皆さんの心意気を参考に、できることをしてみたい、
そんな気持ちになった数時間であった。

ガッカリ 改め、一安心

以前にも書いた、わが家横の道路の付け替えが完了した。
あわせて信号も付け替えられ、街灯も設置された。
それはいいのだが・・・、

ここは昔の町並みの再現を目指す地区だったはずなのに
銀色のポール、何の変哲もない現代風の街灯ってどうかな!?

以下、17:30に追記
今日、市役所に行く用事があって、
直接の担当者ではないそうだが、お話してみたら
仮のものだとのこと。
電線地中化工事時に景観に合うものにしてもらえるのを
期待しながら注目していきたい。

生まれた時から見てきた景色がまた変わる。

去年の春までこんなだったところが、

今では

こんなになってしまった。
更地に新しいわが家が建ち、
上の画像の左側の切れているところにある旧わが家は解体され
新たに更地になったり、発掘されたり。
しかしそれも終わり、夏前から市道の付け替え工事が始まった。
側溝を付け替え、発掘で出てきた遺構を保存し、
砂利をならして車道・歩道ともにアスファルトを敷き・・・、
ついにセンターラインや横断歩道などの道路標示も。
画像にはないが、撮影後に新たに信号機も取りつけられた。
供用開始までまだ1週間以上あるのだろうが、
これまで通りから少し下がっていたため静かだったわが家も
再びこれで通り沿いに「返り咲き」、騒がしくなりそう。
ま、そのための移転だったわけだから仕方ないけれど。
これで工事が続いていたわが家周辺も一段落だ。
次に期待するのはわが家の南側の国道の拡幅(歩道取り付け)と
旧市道だったところに予定されている文化財の再建。
こうなったからには早く進めていただき、わが家周辺の風景を
「確定」させてほしい。

This is “my hometown”

今日は車の6ヶ月点検の後、一度家に戻ってから、
バイクに乗り換えて表浜(遠州灘海岸)に行ってみたよ。

いいねぇ。渥美半島まで見える。
天気がいい時は、一面に続く砂浜の向こうに
蔵王山の山陰まで見えるもんね。
さすがBE-PALの編集長さん、イチ押しの風景だけある。
(奥様が「わが町」出身だったっけ。)
波の音を聞きながらこんな景色を見ていると、
昨日の惨敗(あえてそう言うよ)なんて小さなことに思えるよ。
今日の明治大学との練習試合結果? どうでもいいって。
夜は近所のオヤジたちと飲み会。楽しかった。

Good-bye little Daddy’s town

(BGMには、浜田省吾のDADDY’S TOWNをどうぞ)

かつて、この町が嫌いな頃があった。
十代の頃は、ちっぽけで閉ざされたこの町が嫌いで、
浜田省吾が出した「DOWN BY THE MAINSTREET」を聞くと
この町のことを歌っているのではないかと共感するぐらいだった。
大学を卒業した時も、地元で就職できたことに安堵しながらも、
心のどこかにこの町に戻ることへの複雑な思いを感じていた。
しかし、この町に背を向けることをやめ、
向かい合い、人とふれ合うことにより、気持ちは変わっていった。
いつの間にか、「誇り」すら感じるようになった。
それだけに、この町が「消滅」してしまうことは残念だ。
とはいえ、決して新市に否定的な考えをもっているわけではない。
相手の市がこの町のよさや今まで積み上げてきたものを大切にし
共に新たな地域づくりを目指しているなら前向きに受け止めたい。
でも、実際はどうなのかな。例えば、市章。
県内の合併では人口差の大きかった藤枝・岡部や焼津・大井川、
富士・富士川、沼津・戸田などを除き、市章を改めている。
「あの某政令市でさえ」(tomyさん、ゴメン)市章を改めた。
なのに、今回の合併に、それはない。
つまりは、こっちに合わせなさいと?
市章一つだけで吸収する側の姿勢を問うってどうよと言われれば
そのとおりだが、市章だけに「象徴的」とは言えないだろうか。
いつか新市のことを胸を張ってMy Hometownと言えるように
私も、私なりにできることはしていきたいと思っている。
だからこそ「お隣さん」にも、「一から新たに」でお願いしたい。

明日からなのに、気が早いっつーの。