「この「地域」の行方」カテゴリーアーカイブ

生まれた時から見てきた景色がまた変わる。

去年の春までこんなだったところが、

今では

こんなになってしまった。
更地に新しいわが家が建ち、
上の画像の左側の切れているところにある旧わが家は解体され
新たに更地になったり、発掘されたり。
しかしそれも終わり、夏前から市道の付け替え工事が始まった。
側溝を付け替え、発掘で出てきた遺構を保存し、
砂利をならして車道・歩道ともにアスファルトを敷き・・・、
ついにセンターラインや横断歩道などの道路標示も。
画像にはないが、撮影後に新たに信号機も取りつけられた。
供用開始までまだ1週間以上あるのだろうが、
これまで通りから少し下がっていたため静かだったわが家も
再びこれで通り沿いに「返り咲き」、騒がしくなりそう。
ま、そのための移転だったわけだから仕方ないけれど。
これで工事が続いていたわが家周辺も一段落だ。
次に期待するのはわが家の南側の国道の拡幅(歩道取り付け)と
旧市道だったところに予定されている文化財の再建。
こうなったからには早く進めていただき、わが家周辺の風景を
「確定」させてほしい。

This is “my hometown”

今日は車の6ヶ月点検の後、一度家に戻ってから、
バイクに乗り換えて表浜(遠州灘海岸)に行ってみたよ。

いいねぇ。渥美半島まで見える。
天気がいい時は、一面に続く砂浜の向こうに
蔵王山の山陰まで見えるもんね。
さすがBE-PALの編集長さん、イチ押しの風景だけある。
(奥様が「わが町」出身だったっけ。)
波の音を聞きながらこんな景色を見ていると、
昨日の惨敗(あえてそう言うよ)なんて小さなことに思えるよ。
今日の明治大学との練習試合結果? どうでもいいって。
夜は近所のオヤジたちと飲み会。楽しかった。

Good-bye little Daddy’s town

(BGMには、浜田省吾のDADDY’S TOWNをどうぞ)

かつて、この町が嫌いな頃があった。
十代の頃は、ちっぽけで閉ざされたこの町が嫌いで、
浜田省吾が出した「DOWN BY THE MAINSTREET」を聞くと
この町のことを歌っているのではないかと共感するぐらいだった。
大学を卒業した時も、地元で就職できたことに安堵しながらも、
心のどこかにこの町に戻ることへの複雑な思いを感じていた。
しかし、この町に背を向けることをやめ、
向かい合い、人とふれ合うことにより、気持ちは変わっていった。
いつの間にか、「誇り」すら感じるようになった。
それだけに、この町が「消滅」してしまうことは残念だ。
とはいえ、決して新市に否定的な考えをもっているわけではない。
相手の市がこの町のよさや今まで積み上げてきたものを大切にし
共に新たな地域づくりを目指しているなら前向きに受け止めたい。
でも、実際はどうなのかな。例えば、市章。
県内の合併では人口差の大きかった藤枝・岡部や焼津・大井川、
富士・富士川、沼津・戸田などを除き、市章を改めている。
「あの某政令市でさえ」(tomyさん、ゴメン)市章を改めた。
なのに、今回の合併に、それはない。
つまりは、こっちに合わせなさいと?
市章一つだけで吸収する側の姿勢を問うってどうよと言われれば
そのとおりだが、市章だけに「象徴的」とは言えないだろうか。
いつか新市のことを胸を張ってMy Hometownと言えるように
私も、私なりにできることはしていきたいと思っている。
だからこそ「お隣さん」にも、「一から新たに」でお願いしたい。

明日からなのに、気が早いっつーの。

私がカブを選んだ理由(長文失礼)

そう言えば私が学生の頃、静岡市内に住んでいた私や
西部地方出身の友人の多くは、静岡で車を登録せずに、
あえて実家の住所で登録した浜松ナンバーの車に乗っていた。
それは、親に買ってもらったとかそういうことではなく、
きっと心のどこかに「遠州人としての想い」があって、
その表現方法の一つとして浜松ナンバーを付けていたのだ。
ナンバープレートの地名はそういう想いを表す手段でもあり、
だからこそ、「ご当地ナンバー」ってのが出てきたのだろう。

あれから「人生の何分の一」ともいえるほど長い年月が経った。
私がカブを買ったことは既に何度もここにアップしてきたが、
スクーターではなく、なぜカブなのか? とよく聞かれる。
確かに「水曜どうでしょう」の影響もある。
東日本、西日本は録画して何度も見たし、
ベトナム縦断はDVDを買ったほどで、憧れだ。
しかし、一番の理由は別にある。
ホンダが世界に誇るスーパーカブの、スーパーな耐久性だ。
(ごめん、ヤマハ発動機さん・・・。)
以前から町乗りに使えるバイクがほしいと思っていたところ、
私の育った町がとなりの市と合併するという話が決定した。
そこで、ふと私が考えたのは、
「合併前に現在の町でバイクを登録すれば、それを廃車にせず、
 他市へ転居しない限り、ずっと今のナンバーをつけられる。」
ということ。
(逆に合併後だと新市のナンバーをつけなければならない。)
様々な想いが詰まったHometownのナンバーをバイクにつけ、
できることなら生涯このナンバーで乗り続けたいと考え、
そのために寿命は半永久的、とも言われるカブに決めた。

50ではなく110にしたのは、30km/h制限や2段階右折など、
磐田等へ行く際に厄介な原付一種特有の制限を受けないことと、
ミニツーリングなどもしてみたい、と感じたから。
このごろだんだん体になじんできたようにも感じるし、
だんだん温かくなってきたので、
近々ちょっと出かけてみようか、とも考えている。
そんなこんなと言っているうちに、
生まれ育った町が消滅するまで、まもなく1週間。
「現存しない町のナンバー」をつけて走る時が近づいてきた。

未だ「その日」に非ず。

台風が近づいている夜は台風情報を見ながら
テレビを付けっぱなしで寝ることにしているのだが、
今朝は目覚ましではなく、テレビから聞こえてくる
広報で聞き慣れた緊急地震速報のチャイムで目を覚ました。
NHKのアナウンサーが緊迫した声で
「落ち着いて行動してください! 」
と叫んでいて、気がつくと部屋中がきしみ始めている。
「まさか、いよいよ来たか? 」
そう思っていると、携帯も震えている。

これは初期微動なのか? だとすれば震源が近いここらは
もっと強い揺れがすぐに来るはずだ、と思いながら身構える。
大きいが、「壊滅的ではない」揺れが長い時間続く。
「・・・。」
結局揺れはひどくなることなく、おさまった。
地震が来たらまずいだろう、と思っていた我が家は無事だった。
しかしテレビのアナウンサーの声は上ずり、驚く速報が流れる。
「静岡県中部・西部で震度6弱!? 」
明らかに我が家の周辺は震度6はないと思われたが、
この速報、単なる誤りとも思えず、しばらくテレビを見続けた。
やがて天竜川以東は本当にひどかったのだということがわかり、
職場で一番近いところに住んでいる私は早めに出勤した。
職場の建物は無事だったとはいえ、仕事には大いなる影響が。
今日、職場の研修のために講師を依頼していた客人は
地震への対応の仕事のため、来訪は取りやめ。研修も中止。
そして我々は午前中、顧客の安否確認に追われることに。

亡くなった方が地震によるものだとすればそれは大変残念だが
人的、物的ともに、震度の割には奇跡的と言ってよいぐらい
少ない被害だったと言えるのではないだろうか。
今回の地震はこれまでに予想されてきた東海地震ではなく、
その前兆でもないという話が出されたが、と言うことは、
本当の東海地震は本当に我々の予想を超えたものなのだろう。
今朝の地震への対応一つとっても、
私の職場ではいろいろと「ドタバタ」があった。
これらをよく検証し、本番に備えなければならない。
強くそう思った。