サンプロアルウィン その2

サンプロアルウィン
2019年7月13日~7月14日(1泊2日)
明治安田生命J1リーグ 1stステージ第19節
ジュビロ磐田 1-0 松本山雅FC



試合中からポツポツ降っていた雨が、試合後には結構な本降りになりました。そんな中、約1時間ぐらい並んだでしょうか。(やはりここがネックだな。)やっとシャトルバスに乗れましたが寒さもあり、ちょっと疲れました・・・。



シャトルバスで松本バスターミナルへ戻りました。駅のすぐ近くにある今夜の宿、「ホテルニューステーション」です。ホテルの玄関に掲げられた山雅のフラッグと、我が磐田のフラッグ!! 思わず涙がこみ上げてきました。何か異国の地で日の丸を見つけたかのような思いです。実は、ホテルに着く前にも松本駅で電車の時刻表を見ていたら、山雅サポの方から「何かお困りですか? 」と声を掛けられるなど、松本のみなさんのホスピタリティに感心していたところにこのフラッグ。お互い厳しい状況にあるにもかかわらず、アウェーの私たちを歓迎してくれていることに心動かされました。



普通のビジネスホテルなのですが、空いていたので「和室」を取ってみました。このホテルは桧の大浴場もあるのですが、部屋でも畳で足を伸ばしてくつろぎたいと思い、値段的にも特別高いわけではなかったのでこの部屋に決めました。大きい部屋ではありませんが、寝室と居間が別間になっていて、いずれの部屋にもテレビがあるなど、ちょっと贅沢です。近くのコンビニで缶ビールを買ってきて「一人祝勝会」です。



翌日は朝一番で「長野行」のしなの号に乗りました。帰りとは逆方向ですが、冬にはなかなか立ち寄れないところに寄ってみたく、北へ向かい、長野駅に降り立ちました。約半年ぶり、冬、昨シーズン2回目の野沢温泉ツアーの時に、長野駅近くのビジネスホテルに前泊して以来の訪問です。駅前からバスに乗りました。



バスで向かった先は、善光寺です。一光三尊阿弥陀如来を御本尊として、創建以来約千四百年の長きにわたって、阿弥陀如来との結縁の場として広く信仰を集めているとのことです。御本尊は皇極天皇元年(642年)に現在の地に遷座し、皇極天皇3年(644年)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられたとのことです。「牛に引かれて」とか「遠くとも一度は詣れ」などと言われていますが、年に何度も長野県を訪ねていながら今まで一度も訪ねたことのなかった私。今回、初訪問です。御本尊の地下の真っ暗な中を手探りで進みながら「極楽の錠前」を探り当てて御本尊と結縁するという「御戒壇めぐり」もさせていただきました。(ホントに真っ暗。)



善光寺の鐘楼です。この鐘は1998年の冬季オリンピック長野大会の開会式で、開幕を告げる合図として鳴らされたことでも有名です。あれからもう20年以上が経つのかと思うと、感慨深いです。



たっぷり時間をかけてお詣りしていたら、時計はお昼に。午後は松代大本営跡の地下壕を見学しようと考えていましたが、夜に地元で知人に会う予定が入ったので、松代まで行っていると間に合いそうもないので取りやめ、昼食をいただいて帰ることにしました。駅ビルの中に入っている「草笛」というお店で、ランチのかき揚げセットをいただきました。歯ごたえや香り、舌に残る風味のよさ、喉越し、つゆのダシ、大変美味でした!! 後で調べると、駅ビルの中でも人気店だとか。



名古屋行きのしなの号に乗ります。連休がもう一日あるからか、昨日朝のような大混雑にはならず、また始発駅でもあるため余裕で座ることができました。



塩尻駅で線路は左右に分かれます。あずさなど東京方面に向かう電車は左へ、しなのなど名古屋方面に向かう電車は右へ。旅愁を感じます。



帰りも木曽川に沿って走ってきました。あたりの景色が開けはじめ、都会の街並みの中に入ってくると名古屋駅はすぐ。帰りも乗り継ぎ割引を効かせるべく、名古屋から豊橋は新幹線を使って帰ってきました。

〈”TRIP TO THE STADUIM”に戻ります。〉

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