「私たちの行方」カテゴリーアーカイブ

新幹線使って、イベントをハシゴ

磐田と松本の結果は知っている。
だけど「盛り上がる方優先だ!」ということで、
盛り上がらない話題は先送り。

今日は2つのイベントを「ハシゴ」した。
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ホントは朝から静岡に行く予定だったのだが、
地元町内会の自営業の皆さんが、地元の文化財とからめた
イベントをやるということで、声をかけられたので、
午前中は、近くの横断歩道で交通整理を手伝った。
もっとこぢんまりしたイベントかな、と思っていたら、
どうしてどうして、結構な人数がやってきて大盛況。
行政主体ではなく、住民(商業者)主導のイベントなのに
市長さんは来るは、私の本社のトップも来るはでびっくり。
でも、上からでなく、地元からなのにこれだけやっちゃう、
っていうのは、この町、くたびれてるように見えて、
実は底力あるんだな、ということを感じてうれしくなった。

そして午後からはこちらへ。
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やはり、行かないわけにはいかないのだ、大道芸W杯。
朝出遅れた分、飲んだくれてないで回らなきゃ、と
まずは毎年恒例のディアボロ、矢部亮。
例年と基本的な流れは変わらないのだが、
隣合わせたファンとおぼしき若いお母さん曰く、
去年とは少し技が変わっているとのこと。
そう言われてみれば、そうかなぁ。
何はともあれ、技のクオリティは例年通り高く、
その迫力に圧倒されっぱなし。
そして、自分の限界を超え、自らを極めるために
チャレンジし続ける姿勢が見ていて気持ちよい。
そんな彼を見ないと、やはり大道芸気分になれないと
夜のナイトパフォーマンスでも彼を見た。
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光るディアボロが夜空に打ち上げられる様は、
まるで花火のように美しかった。

もう一人すごいと思った人、
けん玉師 伊藤佑介。
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動き一つ一つが美しい、としか言いようがない。
素早さあり、和風のメリハリ効かせた動きあり。
これらの画像をみると、私は札の辻に張り付いて
そこで一日過ごしていたかのようにも見えるが、
結構駿府城公園の方にも歩いてましたから。

ただ、どうしてもスケジュールを合わせられず、
結局、もう一人の「肝心な人」を見られずじまい。
ということで、明日も行きます!!!

この話題でアップできたことは、実はとてもありがたいこと。

昨日は、一日職場から離れて、ここを訪れた。
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すべてを終え、結果を待つ時間というのは重苦しいものだ。
この「当たり前の日常生活」がこれからも続けられるのか、
すべてをドクターに委ね、
彼女の発する一語一句と正面から向かい合い、
それがどんなものであろうと受け止めなければならない。
その結果・・・しばらくはこの日常生活を続けること、
例えば普通に職場に通い、当たり前に仕事をすることや、
自動昇格どころかプレーオフでの昇格も怪しくなってきた
磐田を追いかけて、転がるボールに一喜一憂することや、
週末、天気さえよければ静岡に大道芸を見に行くことや、
年末年始に忘年会や新年会で飲み、話し、笑うことや、
雪が降れば車に板を積んで長野や岐阜に出かけて、
山の上から麓を目指して風になって駆け下りることなどが
もうしばらく続けられる見込みとなった。
まずはほっとした。
帰宅し、少しばかりの酒を飲んだら疲れがどっと出て、
あっという間に眠ってしまった。
もっとも「手放し」というわけにはいかない。
今後に向けて、ありがたい「御指導」などもいただいた。
考えてみれば、私も「何事もなくて当たり前」の年代から
「要・精密がデフォ」という年代になりつつある。
思えばドックをクリアしていたのに体調を崩していった、
そんな仲間や先輩たちを何人も見てきた。
できることはしていかなければ・・・。

「あの頃の未来」に自分は立っているのか?

もう8年、ですか・・・。
あれからワールドカップが2大会も開かれるぐらいです。
そりゃ、お嬢さんも大きくなるし、
私もオジサン化するわけです。
でも、こうしてあなたと向かい合って手を合わせることで
「あの頃の未来」にちゃんと今の自分が立っているか、
自分を振り返り、見つめ直すとともに、
1年間何とか元気でまた会いに来られてよかったと感謝し
今後も健康で、来年もまた会いに来られるように誓う、
この日がそんなきっかけになっているように思います。
あなたに
「先輩、ずいぶん変わっちゃいましたね。」
と言われてしまわないように、
謙虚さと前向きさを忘れることなくやっていきたいです。

今年も、あなたの好きだったこの歌を。
“He lives in you”

すっかり「そうあるであろうもの」だと思っていた。

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私はこの山に登ったことはない。
10年以上前、後輩に登ろうと誘われたことはあったが、
仕事の都合だったか、その時は登ることができなかった。
しかし、毎年のようにスキーで木曽を訪れる私にとって、
この山はいつも「見上げればそこにある」存在で、
ある時には、その美しさに心を癒やされ、
ある時には、そこに宿るであろう神に祈りを捧げ、
ある時には、方角を知る手がかりとなり、
ある時には、その中腹に積もった雪の上で滑りを楽しみ、
ある時には、夏の暑さを避けるために高原に身を寄せる、
そんな存在だった。
でもその山は、いつも「そうあるであろうもの」などという
私たち人間が、勝手に思い描いていたイメージから
完全にはみ出し、想像をはるかに超える力をもった、
地球という大きな生命体の一部であることを今回、
思い知らされた。
この噴火が、あと数か月後の週末に起こっていたら、
他人事ではなかったかもしれない、
そう思うと、残念なニュースが入るたびに、
何とも言えない思いが心の中に積もっていく。
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一日も早く、行方がわからない方すべてが見つかり、
家族の元へ戻れますように。
そして一日も早く、この山の怒りが
静まりますように・・・。

木曽町役場の皆さん、警察、消防、自衛隊の皆さん、
体に気をつけてがんばってください。

ただ、ただ、切なく、やり切れない。

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この夏、家族で琵琶湖と比叡山を訪れた。
その際、近くの温泉宿に宿泊したのだが、
宿に着いた時、実は以前にもその宿に泊まったことが
あることに気がついた。
4年前、職場の旅行で京都と奈良を訪ねた時、
宿泊したのが偶然同じ、その宿だった。
見覚えのある展望大浴場で、外の景色を見ながら
その時のことを、いろいろ思い出した。
幹事をやってくださっていた先輩がそのあたりに座り、
湯につかりながら、いろんなことを話したな、とか。

その後、私もその幹事だった先輩も別の職場に異動したが、
昨年、その先輩が亡くなられたという連絡をいただいた。
特別親しくしていたわけではなかったが、
共に同じ職場で仕事と向かい合った仲間として、
御焼香をさせていただきに通夜に行った。
まだお若く、何ともやりきれない気持ちだった。

風呂に入りながら、さらに考えた。
あの旅行からまだ4年なのか・・・。
あの時、職場には素晴らしい上司がいた。
その旅行にも、一緒に参加してくださった。
宴会で他愛もない話をして楽しいひとときを過ごした。
いい方だった。
その方の下で、本当に気持ちよく働かせていただいた。
今の自分がある、その何パーセントかは、
その上司と、共に働いた仲間たちの支えのおかげだ。

昨年の4月、私は2年ぶりにその時の職場に戻ってきた。
そして私は、その上司の後任として、
その方が担当していた仕事を引き継がせていただいた。
とはいえ、その方の後任なんて自分などに務まるわけもなく
1年半近く経った今でも手探りの毎日で、
その方は、自分にとっての「お手本」だった。

今日、つらい知らせが職場に届いた。
その元上司の方が今日未明、亡くなられた、
ということだった。
急なことだったそうだ。
しばらく言葉を失った。
お手本を失い、支えを失い、
これまでのお礼を言うこともできなくなってしまった。
何ともやりきれなく、切ない思いで一日を過ごした。

日曜日、お別れの御挨拶のために、
スタジアムに行く前に、通夜に行かせていただきます。
「これまで、ありがとうございました。」