「この「地域」の行方」カテゴリーアーカイブ

雨は上がったが、放水訓練はなし。

地元の自主防災会の出初め式に行ってきた。
式典自体は偉い方のあいさつが中心で、形式的なものだが、
760人近い人が集まったという。
私の地区の対人口比から行くと、これはすごい数字だ。
それだけ皆の関心が高いということだし、
地域のつながりが強いということでもあるだろう。
ただ、参加者の顔ぶれを見ていたら、年齢層が高い。
私自身などは最若手の方で、主力は70代、60代。
実際、日中に災害が起きれば地元にいるのはこの世代だし、
それはそれでいいのだが、10年後、20年後を考えると
心配ではある。
もっとも、私自身も前の前の職場での経験や、
前の職場で取り組んだ仕事から、影響を受けなければ、
こういう場所に出て行ったかどうかわからないのだが。
式典が終わってから、地元の公民館で食事しながら
津波からの避難の経路について、確認が行われた。
間もなく3.11から1年が経つ。備えは大事だ。

PS.
昨日のアヴァンティを聴いて、スキーへの思いがムクムク。
さしあたって、7日のやぶはらツアーをこちらにアップ。

遠江國一宮

来週、カブで奥三河に日帰りで出かけることになった。
久しぶりのロング(カブにとっては)だ。
ならば、長距離のカンを取り戻さねば、と出かけることにした。
昨年から伊勢、秋葉山と大きな神社に出かけているが、
地元の一宮に出かけてないではないか、と思い、
今回、森町の小国神社を行き先に選んだ。

実は私、これまでに一度も行ったことがなかった。
厳かさを感じる木立の中をまっすぐに続く参道。
歴史とそこに息づく見えざる力を感じた。
初めましてのご挨拶と今後の安泰を祈願し、帰路へ。
帰りは豊岡から浜北へ抜け、昼食を取りながら
猛暑の中、何とか無事に帰ってきた。ただ・・・。

道中、往路と復路、二度、天竜川を越えた。
水量は多めだが、流れはおだやかに思っていたのだが。
帰宅後のテレビで衝撃的なニュース。
私が渡ったあの浜北大橋から数キロのところで
あの直後の時間帯にあんな大変なことが起こるとは。
猛暑の中、川面を渡る涼風と夏ならではの楽しみを求め、
あの人たちは心わくわくさせて船に乗ったであろうに・・・。
残念でならない。

連休の谷間で考える。(昨日サボっちゃったから)

「連休中は毎日更新」とか言ったのに、昨夜は寝ちゃって×。
目が覚めたら日付が変わってた。ということで、今日更新。
今日は仕事から帰ったら大きなニュースをやっていた。
菅総理が浜岡原発の全原子炉の停止を要請するとのこと。
以前より私は、「原発はエコなエネルギー」という言い分は
ちがうと思ってきた。
火力発電がCO2を出すからエコではない、というのなら、
放射能を含んだ核廃棄物を生み出す原発など論外だ。
だから、安全性が保証されない現状で停止、というのは
当然の判断だとは思うが、心配なのはあの人お得意の
瞬間的な「思いつき」で決めたのではないか、という点だ。
(消費税発言から始まり、震災後の場当たり的な対応等。)
夏の電力需要、原発に関わって生活している人たちの今後、
地元への影響など「何とかなるだろ」的発想ではたまらない。
思えば、3日に震災以来初めて東電管内に足を踏み入れた。
夕方の武蔵小杉駅はこんな感じ。

照明や看板などの電気の半分が消えていた。
コンコースは薄暗く、改札機もエスカレーターも一部停止。
その後、横浜経由で帰ってきたのだが、街の薄暗いこと。
「ブルーライト・ヨコハマ」って歌が幻想に思えた。
東電管内の停止原発が再稼働する見通しがない中で
この状態は当面続くことだろう。
それがいよいよ他人事ではなくなってくる。
本気で節電を考えねばならない。
と同時に、原発に替わる本当にエコなエネルギーについて、
国としても真剣に考えていくべきだと思う。

CMが消えた週末


金曜のうちに大きな仕事を片付け、
土曜は先週痛めた足の筋を癒しにどこか日帰り温泉へ、
そして今日は磐田でホーム開幕戦・・・、
そんな「普通の週末」になるはずだった。
今、避難所で不安な夜を過ごしている何万という人も同じだろう。
しかし1,000年に一度、世界で4番目という想定外の震災が
その地域だけでなく、日本の週末を変えてしまった。
テレビからCMが、お笑い番組が、音楽が消え、
平日と同じキャスターがニュースを流し続ける。
私の記憶をたどれば、こんなことは昭和天皇の崩御以来だ。
それだけ、今回の震災が「国難」とも言うべき大きなものだった
ということだろう。
日本列島が2.4m動いたという、もはや地震というよりも
「地殻変動」と言ってもいいぐらいの大震災、
安否不明者が1万人単位、そして原発も心配される状況。
大変なことになった。見ていて心が痛む。
戦後最大といってもいい「国難」、
改めて少しでも早い救助、復旧を祈りたい。

生命が、くらしが、思い出が・・・。


一夜明けて改めて被害の実情が明らかになってきた。
津波が堤防を越え、道路をはい、やがて家の1階に侵入し、
昨日まで人々の生活がそこにあった家を次々と押し流し、
その押し流された家々がさらにその隣の家を押しつぶし・・・。
5,000世帯水没? 10,000人が安否不明?
一つの自治体の人口の半数が安否不明なんて、
集落一つが消えたというだけでも衝撃なのに、
自治体一つが丸ごと消えてしまうなんて・・・。
私の地区では「津波は徐々に水位が増すもの」と言われてきた。
わが家は耐震も大丈夫、しかも浸水域の外なので、
地震が来ても近くから火さえ出なければ建物は大丈夫では、
と思っていたが、押し流されてきたがれきや車で
押しつぶされてしまうこともあるのだろうか、
と考えると、今回見た映像はかなりの衝撃だった。
8年前訪れた松島、その際使った仙石線、
そして今年1月に訪れるはずだった野沢温泉・・・、
何ともやりきれない・・・。