「この「地域」の行方」カテゴリーアーカイブ

遠征された方、お疲れ様でした。

2013 Jリーグディビジョン1 第21節
磐田 1-1 湘南 @Shonan BMWスタジアム平塚

ナイトゲームだから帰りの手段はどうしようかとか、
何なら平塚か小田原で泊まりでとか、考えていたのだが、
結局、こんな用事が入ってきて、遠征は断念。
20130817bousai
何だかわからないでしょう?
場所は近所の中学校の体育館。わが家の指定避難地。
地域住民としてでなく、仕事上の付き添いということで、
いろいろな訓練をしながら一泊。
今回は、ただのお客さんの付き添いとしてだけでなく、
個人的にもいい体験ではあった。
避難所で寝ることが、あんなにも困難なのかとか、
一晩だけでこれなんだから、何週間もの共同生活とか
これは想像を絶するものがあるだろうなとか・・・。
かなりボロボロになりながら、次の日帰ってきた。
同じころ、平塚で磐田もボロボロになっていたとは
これっぽちも思わずに・・・。

あとで録画を観た。
ガッカリとかそういうレベルを超えて、何とも言えない
無力感に包まれるゲームだった。
残留争いをする相手に好機すら作れず押しまくられる前半。
そして相手のミスをついて、見事に先制したかと思えば、
今度はこちらが取れなかったような形をキッチリと決められ
しっかり追いつかれてしまう始末・・・。
本当にダメだなぁ。
もちろん最後まで信じてはいる。
しかし、最悪のことも頭に入れて、「その時」に備える、
それも精神衛生的な危機管理上、必要なのだろうと、
覚悟を決めることになった、そんなゲームだった。

まずはこちらを先に。祝・富士山!!

20130622mt_fuji
メキシコ戦とかいろいろあるけれど、やはりこちらを先に
載せておこう。
祝・富士山世界遺産登録!!
西部地方在住の私にとって、富士山は特に身近なものではなく
東に旅行した時に見るもの、というイメージだった。
しかし、幼少の頃のある日、わが家の最寄りの駅のホームから
雪をかぶった富士山を見つけた時には、本当に感動した。
今でもその光景が鮮明に脳裏に焼き付いている。
だからだろうか、学生として静岡市に住むようになると、
不思議と富士山にこだわるようになった。
バイクで初めて静岡から遠乗りに出かけたのは
富士市だったし(今思えば、遠乗りってほどでもないのだが。)
免許を取って初めて仲間とレンタカーを借り、
ドライブというものに出かけたのも、なぜか富士山だった。
(ちなみに、その次は箱根だった。)
今回逆転登録された三保は、これまた思い出深い場所だ。
仲間とぶらぶらと深夜ドライブ(ツーリング?)に出かけ、
波打ち際に寝ころんでくだらないおしゃべりをしているうちに
いつの間にか時が過ぎ、夜が白々と明けていく中で、
東の空に雄大なシルエットが浮かび上がった光景の素晴らしさ!
これまた今でも心に強く強く焼き付いている。
最近は山を愛でる、そんなゆとりは・・・ないなぁ。
それでも、せっかく世界遺産登録ってことになったし、
久しぶりに富士を愛でに、バイクでも車でもいいから、
東へ行ってみようかな、なんて思えてきた。

掛川山ごもりまで、1時間とちょっと。

今週水・木は掛川に山ごもり。
昨年からこの山ごもりでよく一緒になった掛川のTちゃんと
今回も一緒。
ホントに流されまくったこの1ヶ月半の職場の喧騒から離れ、
落ち着いていろいろ考えるきっかけを得た。
感謝。
それともう一つ。
iwata-by-pass
祝・磐田バイパス全線2車線化、
そして袋井バイパスも堀越インターまで2車線化完成!!
磐田バイパスの流れが画期的に改善。
昨年度末にこの工事は既にできていたのだが、
朝の通勤時間帯に流してみて、その効果に関心。
堀越インター手前で多少詰まることはあったが、
磐田市内についてはまったく問題なし。
磐田への出陣に、本当にありがたい。
ただ・・・その分明日は勝ってもらわねば。

2年が過ぎて・・・。

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あれから2年、いろんな想いが心をよぎる。
「生きたい」という願いを断たれた人々の無念の想い。
今も時が止まったままの家族のみなさんの想い。
未だふるさとに戻ることが許されない人たちの無力感。
これらを受け止め、正面から向き合いながら、それでも
前に進まなければばならない。
今日、私の地元では、夜間の防災訓練が行われた。
行政と地元住民がまさに協働で造った避難路を使った
高台への避難に、私も参加した。
参加してみて気づいたのは、
中心となって活動している人たちの年齢の高さ。
やがて、この人たちの後を継ぎ、地域を引っぱり、
面倒を見る人たちはいるのだろうか?
「それって、俺たちだよな・・・。」
そう思い、年齢の近い仲間たちと片付けを手伝ってきた。

それは夏の記憶。

あれからもう1ヶ月が経つのか、と思うと、
そして、照りつける日差しの中、汗をぬぐいながら歩いた
あの頃から、季節は確実に変わった、と思うと、
その間、仕事に追われる忙しい毎日を送ってきたとはいえ、
時が過ぎるのは本当に速いと思う。
そしてあの日、2011年3月11日からはもう、1年半。
政府も含め、日本中が戸惑うことしかできなかった
あの日から時は過ぎ、少しずつ落ち着きも取り戻し、
だからこうしよう、これからはこうでないと、
みたいなことが、あちこちで言われるようになってきた。
それを少しは聞きかじり、震災について、防災について、
何となくわかったような気になっていたが、
実は何もわかっていなかった。
その場に身を置かなければ、わからないことがある。
現場に身を置いて考えたい。
そう考え、この夏、宮城を訪ねてきた。
U-20女子ワールドカップの観戦とあわせての旅だったが、
私にとってはこちらがメインの旅だった。
撮影してきた膨大な画像と、いろいろ考えたことなど、
整理をするのに時間がかかり、1ヶ月も経ってしまったが、
観戦記、ならぬ「訪問記」をアップすることにした。

薄っぺらな内容ですが、ぜひ、ご覧ください。

最後となりましたが、東日本大震災で被害に遭われた皆様に
心よりお見舞い申し上げます。
また、亡くなられた方々の御冥福をお祈り申し上げます。