どれだけの国民の思いと、いくらの経済的効果を失ったのか

ジュビロ磐田の山口戦とかいろいろあるけれど今日はこれ。



届いたよ。組織委員会からのメールが。
無観客なんだって。

もう報道で散々言われてきたし、結果はわかっていたけれど
このチケットを申し込んだ時のあのわくわく感。
そのセッションは仕事上大丈夫だな、とか
あのセッションも同時に当たっても移動は間に合いそうだから
一緒に申し込もう、とか、首都圏での移動を想定しながら
スケジュールを考えてクリックした記憶が甦る。
そして、埼玉での女子サッカーが当選した時のときめき。
これらを思うと、簡単に受け入れられるものではないし、
何ともやりきれない。
感染症は確かに自然発生的なもので、天災の一部だと思う。
でも・・・、
少なくともTOKYO2020+1を何が何でも、という思いがあって
真剣にその実現を目指していたのであれば、手はあったはずだ。
今までここではぼかして言ってきたけれど、はっきり言おう。
総理、内閣、そして厚労省をはじめとする上位の官僚が
やるべきことをやって、果たすべきことを果たしていれば、
もう少し状況は変わっていたのではないだろうか。
そして何より「あの人」。
自分の総理・総裁の任期中にやりたかったんでしょう?
2年延期すればよかったものを、1年延期ってことにしたあなた。
結果として「コロナに打ち勝った証」でも「復興五輪」でもなく
黒歴史のきっかけをつくった自覚はあるのだろうか。
言い過ぎだって!?  言わせてもらうさ。
期待と夢をふくらませたところで直前2週間前でそれを潰された、
私はそんな「被害者」だぞ。