「このくにの行方」カテゴリーアーカイブ

「2時間かけて、風呂入りに行くんじゃバカだよな・・・。」

かつて前節の対戦相手が「ザスパ草津」と名乗っていた頃、
風呂好き、温泉好きの私、m-takasuとしては
このクラブが「J1に上がる」ようなことがあったら
ぜひアウェーに遠征したいと思ったものだった。
今回、「想定外」の形で、そのクラブと
「同じカテゴリー」になり、マッチングが実現した。
しかし、「遠征がてら温泉」という私の思惑は
現実的には困難だということが分かってきた。
このクラブのホームスタジアムと温泉のある草津町は
実際には、何と50km以上も離れていること、
そして電車とバスを乗り継いで2時間以上かかること、
(ちなみに我が家から前橋までは3時間ちょっとだ。)
などが調べていくうちに明らかになってきたからだ。
(私自身の群馬県の地理についての理解が不足していた。)
とても「ゲーム後、ついでに泊まり」という距離ではない。
ちなみに、草津を地図で探すと、何とそのすぐ近くには
あの万座温泉スキー場が。それぐらい奥なのだ。
ということで、今回は草津宿泊をあきらめて、
今年話題のあの場所へ!!!
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世界文化遺産、「富岡製糸場」。
あの明治時代の「殖産興業」の象徴のように、
小学校の教科書で取り上げられていた、あの工場だ。
煉瓦造りの建物は非常にレトロな雰囲気なのだが、
古っぽく造られたテーマパークのパビリオンとは異なり、
本当に年月を重ねてきた傷み感が半端ない。
100年前、世界から進んだ技術を取り入れ、
この国を先進国へと押し上げていったまさにその場所だ。
日本の繁栄の礎を築き、未来を開くために頑張った
先人たちに感謝したい、そう思えた場所だった。

遠州から、公立小中高から、ノーベル賞!!

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私が中学生の頃、友人たちの間で
はんだごてを使って電気工作をするのが流行っていたが、
そのころLEDと言えば赤だった。
大体は「電源が入ってるよ。」という目印になるように
スイッチを入れると赤く点灯するためのものだった。
当時、自分が大人になる頃にはこのLEDが「明かり」として
使えるようになるとは思ってもいなかった。
我が家の前の交差点の信号と街路灯が最近付け替えられ、
まるで我が家をライトアップするために
付けられたかのように家の周囲が明るくなったのだが、
光源は、そのLEDなのだ。
ほかにも、今私の頭上にある電球も、ダイニングの電球も、
職場で戸締まり確認するための巡回に使う懐中電灯も、
みな、LED電球だ。
いろんな色を出すために必要だった青色LEDを
発明するのに力を尽くした中の一人、天野浩さんが
実はこの地元遠州の出身で、普通に公立小中高で学び、
その後も東京や京都でなく、名古屋大学で研究して、
その業績が認められてノーベル物理学賞を受賞とのこと。
喜ばしい限りで、地元遠州の誉れだ。
ただ、これで「さすが、ものづくりの町」とか言って
にわかに大騒ぎして地元に呼び戻したりして、
研究の時間を奪うのだけは止めてほしい。
静かに遠くから応援し、心の中で誇りに思う、
それでいいんじゃないかな。ね、浜松市さん。

すっかり「そうあるであろうもの」だと思っていた。

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私はこの山に登ったことはない。
10年以上前、後輩に登ろうと誘われたことはあったが、
仕事の都合だったか、その時は登ることができなかった。
しかし、毎年のようにスキーで木曽を訪れる私にとって、
この山はいつも「見上げればそこにある」存在で、
ある時には、その美しさに心を癒やされ、
ある時には、そこに宿るであろう神に祈りを捧げ、
ある時には、方角を知る手がかりとなり、
ある時には、その中腹に積もった雪の上で滑りを楽しみ、
ある時には、夏の暑さを避けるために高原に身を寄せる、
そんな存在だった。
でもその山は、いつも「そうあるであろうもの」などという
私たち人間が、勝手に思い描いていたイメージから
完全にはみ出し、想像をはるかに超える力をもった、
地球という大きな生命体の一部であることを今回、
思い知らされた。
この噴火が、あと数か月後の週末に起こっていたら、
他人事ではなかったかもしれない、
そう思うと、残念なニュースが入るたびに、
何とも言えない思いが心の中に積もっていく。
2012ontake

一日も早く、行方がわからない方すべてが見つかり、
家族の元へ戻れますように。
そして一日も早く、この山の怒りが
静まりますように・・・。

木曽町役場の皆さん、警察、消防、自衛隊の皆さん、
体に気をつけてがんばってください。

「王様は裸だ!」

「国王といえども、神と法の下にある。 」

つい先日、自分の住んでいるこの国は、
選挙で票さえ取ってしまえば、
権力者をルールで縛る、
権力者であっても、ルールに従って権力を行使する
なんてことはできないレベルに堕ちてしまったんだなぁと、
情けなく思っていたところだったが、
ついに、自分の住んでいる県までも・・・。

ルールを破っておきながら、駄々っ子みたいに理屈を並べ、
情けなさの極みだ。
「王様は裸だ!」って、
みんなで言ってあげた方がいいんじゃないか?

そこがかつて水の通り道だったなんて。

20060830hiroshima-koikikouen_sta

もう8年も経つのか、と思う。
夜行バスで広島に入り、ビッグアーチを訪ねたのが
2006年の8月30日だった。
ゲーム内容は思い出したくもないので、ふれないが、
広島市街からアストラムラインという新交通システムに
ゆられて行く中で、山の麓の川に沿った谷を進みながら、
ずいぶん市街地から離れた山奥にスタジアムがあるんだな、
などと思ったものだ。
ただ、さすがに都心直結の新交通システムの沿線らしく
(もう一本、JRの可部線も通っていたのだが。)
大都市郊外の住宅地っぽく開発が進んでいて、
浜松も、かつての国鉄佐久間線計画を復活させたら
龍山、佐久間あたりもこんなに栄えたりするのかな、
なんて思ったりもした。
しかし、そのアストラムライン沿線から少しだけ
北に上がっただけのところであんな大災害が起きるとは。
(場所こそ少し離れてるし、被災地からは山向こうだが、
ビッグアーチだって同じ安佐南区だもんなぁ。)
松本遠征で通った直後に長野の南木曽町が土石流で
大変な被害に遭った時も痛々しく感じたのだが、
今回も、本当に大変だ。
自然の力の恐ろしさを痛切に感じた。
津波が怖いから高いところ?
でも高いところだって大雨で土砂災害?
一体どうやって身を守ればいいのか。
地震はともかく、こちらは最近の地球環境の変化や
自然を無視した開発とも大きな関係があるような、
そんな気がする。

ビッグアーチのお膝元が一日も早く復旧・復興し、
心からサッカー観戦を楽しめる、そんな時が
戻ってきますように。