未だわからない。


あれから2日。
まだ自分の中でこの出来事を受けとめられずにいる。
何をどう考えたら、こういうことができるのだろうか。
世間を騒がせたいのなら、犯行後の世間の反応を見たいはず。
また、日ごろから上流階級の子どもが気にくわないのなら、
犯行後に「犯行の結果」を自ら見つめ直して、
そこで「歪んだ自己肯定感、自己陶酔感」を味わうはずだ。
しかし直後に自ら命を絶ってしまうというのなら、
自分の行いに対して騒ぐ世間を見られないし、
犯行に及んだ自分自身に対して自己肯定も陶酔もできない。
それなのに、自らの命をかけてまで犯行を行うという
奴の発想が理解できなかったし、今も理解できない。
どうしたら防げるのかも考えてきたが、現時点での考えは
「防ぐ方法は思い浮かばない」。
だって、あのやり方で突然襲いかかられたら、
警察官やガードマンを50mおきに通学路に立たせても
マンツーマンで保護者がついて送迎していたとしても、
防ぐことはできないと思う。
となると、二度とああいう奴が出てこないように
どんな社会を作っていけばいいかを考えるしかない。
しかしそれは社会のシステムを変えることであり、困難だ。
何ともやりきれない。

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