「いつかまたみんなで」なんて日は当分来ないと思い始めているからこそ。



このところテレビは「専門家」っていう人たちが出ずっぱり。
そしてその多くが「感染症の専門家」だ。
でも、どうせ数か月、巣ごもりするしか方法がないのなら、
私は感染症の専門家なんかよりも「心理学の専門家」を
テレビなどに出演させるべきなのではと思う。
家に籠もること、人とつながりを絶たねばならないこと、
子どもが自分を成長させられる場である学校に行けないこと、
心の癒やしや充実感を得られるスポーツ観戦や音楽ライブ、
文化活動に参加することを「悪」とされること、
世話になった人たち、これから仲間になる人たちとの
「つながり」を思って酒を酌み交わし、思いを伝え合うこと、
そして、適度の距離感の中で愛を育むべきはずの大切な家族と
異常なまでの長期間「3密」を強いられ、軋みが生じること。
私の仕事もその影響を受ける中で常に正解が求められること。
そもそも仕事に行くこと自体を「悪」だと咎められること。
(もはや「不要不急」って何が何だか。)
こんなことばかり、もう2か月近く求められ続けている。
なのに、テレビから垂れ流される情報は悲観的なものばかり。
今日はそれに追い打ちをかけ、とどめを刺すかのように
「8割オジサン」が数字をかざしてさらなる脅迫をたたみかける。
そりゃ、正しく広く情報を得ることは必要だし、
「8割オジサン」が言うことは正論なのだろう。
でも、こっちだってもう一杯一杯なんだよね。
ひたすら「出るな」とだけ戦時標語のように言うだけでなく
前向きになるコメントや示唆を専門家は出せないのか。
そしてこの閉塞感の中、家にいることを互いに認め合い、
それでも前向きになれるような気持ちを呼び起こすとか、
(そういう意味では有働由美子はよくわかってる。)
人との「つながり」感を感じ、そして癒やされるような、
そんな番組は作れないものなのか。
しばらく前からヤフコメは非表示にして読んでいないが、
さらにネットニュースについても読む量を精選し、
テレビも精選しようと思う。

話を変えよう。

職場の近くの某高校の門から続く坂道の桜。
だいぶ緑が目立ち始めて、そろそろ終わりかな。
でも、この画像をアップできるようになったということは
私もようやく10代の頃以来のわだかまりが消えてきたと
いうことだろうか。