「有終の美」

ここに1枚のアナログ写真がある。
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撮影されたのは1998年5月24日、横浜国際総合競技場。
当日はキリンカップサッカー98が開催されていて、
日本代表がチェコ代表と戦い、0-0で引き分けた。
確かW杯フランス大会前の国内最終戦で、
壮行試合的な扱いだったのではと記憶している。
当日、少し早めに会場入りした我々は、
前座試合として行われていた女子代表の
日本対アメリカ戦を観戦した。
その時、私は初めて「彼女」を生で見た。
女子サッカーを見るのが初めてだった私に、
同級生のSHOCHANがいろいろ解説してくれたのだが、
その説明の大半は「彼女の凄さ」についてだった。
15歳で代表入りしたこと、代表デビュー戦で4点取ったこと、
その他いろいろ・・・。
そう言われてみれば、ガッツがあるし、視野も広いし、
いいところついたパスは出すし・・・と
話を聞きながら「彼女」を見ていたが、
なんせ相手はアメリカ代表。
確かこてんぱんにやられてしまい、
「彼女に」衝撃を受けるという気分ではなかった。
しかしその後、「彼女」は見るたびに強くなって
自分の前に現れた。
20100206nadeshiko

2010年2月6日、東アジア選手権中国戦。
キャプテンマークを巻いた「彼女」がそこにいて、
ゴールこそなかったものの、ピッチを縦横無尽に
走り回り、チームのために献身的に尽くしていた。
まさか翌年、あんな快挙を成し遂げるとは
この時はとても思いもよらずに見ていたが、
キャリアを重ねてキャプテンの責を果たす姿は
すっかり日本の「誉れ」となっていた。
国際Aマッチ205試合出場、83得点。
ワールドカップ6大会連続、
オリンピックは4大会出場。
男女通じて日本人唯一の「FIFAバロンドール」受賞。
「苦しい時は私の背中を見て」という言葉は
伊達ではない。
誰よりも走り、誰よりも先を読み、
誰よりも正確にパスを送り、
誰よりも貪欲にゴールをねらい続ける・・・、
素晴らしいアスリートだった。

第37回皇后杯全日本女子サッカー選手権 決勝
INAC神戸 1-0 新潟L @等々力陸上競技場

行くべきだったよなぁ。
年賀状を出すのが遅れようが、大掃除が遅れようが、
等々力に行くべきだったのだ。
そんな後悔がテレビを見ながらふつふつとわくぐらい
「彼女」は最後まで走り、完全燃焼した。
また、自身のヘッドでの決勝弾。心が震えた。
こんな美しい終わり方、あるかなぁ。
素晴らしかった。
「自分にしかできないことをやっていきたい」
とのこと。あるはずだ。
これからも、日本の「誉れ」としての活躍を
期待している。
お疲れ様。そしてありがとう。