いよいよ忘年会シーズン。

まもなく師走だ。ということで、今年初の忘年会。
仕事上のお得意様ご家族の「役員さん」との忘年会が、
湖西市新居町新居の居酒屋「かに伝」で行われた。
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鳥刺しを含むお刺身や、
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季節柄お鍋などもいただきながら、
楽しくひとときを過ごすことができた。
何はともあれ、まずはこういう「年中行事」を
普通に「日常生活」の一部として過ごすことができるのも
私が健康であるおかげで、心から感謝したい。
また集まった皆さんがお得意様ご家族ということもあって、
私たちの職場のメンバーだけの飲み会とは様子が異なり、
様々な業界・職場の実情を聞けたり、
地元ならではの人間関係の中でのこぼれ話も聞けたりして、
楽しく時間を過ごすことができた。
これから忘年会、年内に何回かあると思われるが
これからも楽しく参加できればと思った。

お見舞い申し上げます。

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私が長野県北安曇郡小谷村を訪ねたのは2006年のこと。
栂池高原でのお泊まりスキーだった。
シーズンイン直後で滑れるゲレンデは限られていたが、
白馬のビッグゲレンデで思い切り楽しめる、という思いが、
自分をハイテンションにしていた記憶がある。
夜には宿から出て小谷温泉の山田旅館という温泉宿で
非常に上質なお湯の掛け流し温泉を楽しんだ。
この宿は、本館が江戸時代に建てられた木造3階建てで
宿場町の旅籠のような雰囲気をもっていて、
いつかは入浴だけでなく、泊まってみたい、
そう思っていた。
あれから8年、再び訪ねることなく今に至っているが、
そんな先週末、驚くべき災害がこの地を襲った。
長野県北部地震、被害はこの小谷村と白馬村に集中した。
ここ2年ほどは白馬方面には足を伸ばしていないが、
それまでは毎年のように訪れていた場所だ。
果たして被害はいかがなものか、と心配していたが
栂池、白馬五竜、八方、すべてスキー場への被害はなし、
前述した山田旅館も、ネット上の情報では無事とのこと。
まずは安心した。
早く余震等が収まり、雪が降る前に復旧が進むことを
心から祈っている。
今年、長野県は大きな災害で本当に大変だったと思う。
ただ、松本山雅のJ1昇格など、来年に向けて希望もある。
木曽共々、頑張ってほしい。応援している。

「こんなもの、いらないやい!!!」

2014 Jリーグディビジョン2 第42節
磐田 1-1 札幌 @札幌ドーム

「昨日はグランドホテルに行きましたか?」
今朝、職場で何人もの人からこんな声をかけられた。
「行きませんって。シーズンはまだ終わってないですよ。
浮かれてパーティーなんてやってる場合ですか。」
なんて気を張りながら、答えてはみたものの・・・_| ̄|○
「あと2週間楽しめるじゃないですか。」
という励ましともおちょくりとも何とも言えない声かけに
ますます・・・orz
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昨日、こんなのが家に届いたよ。
こんなの、いらないやい!!!
直接味スタに行きたかったやい。
何だ、FK一発に沈みやがって。
その後よく追いついた!?
パワープレーで1点取るのがやっとで、
流れの中からは結局何もできなかったじゃないか。
これで下半期に千葉にも山形にも勝てない磐田に、
ここ6試合、勝ちがない、そんな磐田に、
何を期待しろって言うのだ?
もちろん、あきらめてはいないよ。
ただ、あまりにも悲壮なチャレンジであることに
何ともいえず失望感を隠せないのだ。

最後の失点が余分。

キリンチャレンジカップ2014
日本代表 6-0 ホンジュラス代表 @豊田スタジアム
日本代表 2-1 オーストラリア代表
@ヤンマースタジアム長居

しばらくさえないゲームが続いていた日本代表だが、
大会前最後の親善試合で2連勝できたこと、
何よりも、宿敵オーストラリアに勝って
アジアカップ本大会を迎えられるのは大きいと思う。
特に同じアジア勢であるオーストラリアを相手に、
セットプレーで敵を出し抜きフリーでゴールを決めたり、
サイドを崩した形からトリッキーなシュートを決めたりと、
見ていて痛快で楽しかった。
(普段よく見ているへっぽこクラブのちぐはぐな攻めや
 スカスカの守りに慣れてしまっているから
 そう見えてしまうのだろうか。)
ただ、最後の失点はいただけない。
麻也、しっかりしろ!!!

いつまでもかっこよく歳を重ね続けていくと思っていました。

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このことでアップしておきながら、
実は、特別にファン、というわけではないのである。
サッカー場には毎週のように足を運んでおきながら、
映画館にはなかなか足が向かない、
そんな私にとって、健さんを見るのは、
テレビで放映される映画劇場か、衛星放送ぐらいだ。
ヤクザ映画というのも好んで観るわけでもないので、
健さんが輝きを増し、その人気を確立していった、
そんな時期のことは、よくわからない。
ただ、小学校の高学年か中学生ぐらいの頃にテレビで見た
「幸福の黄色いハンカチ」については、
幼いながらも、そのまっすぐな生き様に引き込まれ、
目頭を熱くしながらブラウン管を見つめていた、
そんな記憶がある。
役柄だけでなく、人として、男として、
かっこよかった健さん、残念だ。
また一つ、昭和が遠ざかった、そんな気がする。