「私たちの行方」カテゴリーアーカイブ

もし、これでチームが変われたなら、彼は相当だ。



「秀人なのかぁ・・・。それも暫定でなく、正式か。」
というのが、報道を初めて見た時の最初の思いだ。
鈴木秀人という人物に信頼を置いていないわけではない。
かつてはスタンドから彼の背中を押した一人として、
その熱さ、前向きさはよくわかっている。
指導者としても、各カテゴリーで経験を積み、
前監督を「一番近いところで」「一体となって」
支えてきたこともわかっている。
ただ、だからこそ、不安はそこにある。
これまで参謀として指揮官を補佐することに尽してきた者は
得てして戦略を練る際、かつて仕えてきた指揮官のやり方を
「下敷き」にしがちになってしまうものだと思う。
特に「こんな時どうする? 」というようなギリギリの判断を
求められた時こそ、それは出がちだ。
前指揮官の下、現有戦力をどう見て、どう生かすべきかも
共通理解の下でやってきているので、多少見解のちがいも
あるかもしれないが、前任者と大きくちがわないはずだ。
(そんなにちがっていたらとても同じチームではやれてない。)
その参謀が指揮官になって、大胆な改革を行えるのだろうか。
実際、インタビューでは「このタイミングで多くを変えても」
と言っている。
でも、それは変えないのではなく、変えられないのではないか。
チームがいい状態で前任者が勇退し、それを引き継ぐのなら
一番近くにいた参謀の内部昇格でもよい。
でも、今、必要なのは変革で、新たな引き出しではないか。
だとするならば、外部の人材に依頼するべきだったのでは?
というのが、職種はちがうが今の私が経験から思うところだ。

この街の夜、結構楽しい。

ついに、というか、やっと、というか、行ってきた!!
地元で今評判の店、新居町俵町の「RIVET(リベット)」。
元々、郊外で長く営業してきたイタリア料理店が、
新居関所近くの町屋を改装し、移転してオープン。
移転以降(っていうか、改装してる時から)評判だったが
なかなか訪ねる機会がなく、機会を狙っていた。
今回、前の会社から今の会社へ、私と一緒に移籍して
共に勝手が違うところで戸惑いの2か月をくぐり抜けてきた
元部下であり、家も近所である仲間と近況を語り合い、
そして前を向くために、飯でも食べながら話そうと訪れた。

いやいや、ここが民家だった頃から知ってるけど、
改めて、味のある入り口。
(でも、最初どこから入るかわからなかったけれど(^^;))
そして前菜盛り合わせとサラダ、そして生ビール(^^;)

バラエティ豊かでいろいろあって、彩りもキレイ。
そしておいしい!!!
ワインにしてもよかったかな(^^;)
さらにピッツア!

話とビールに夢中で、食レポ十分でなく申し訳なし。
でも、確かにいい(^_^)v
ホントならこの後、肉料理とか行くべきなのだろうが、
これで粘って、ビールたらふく飲んでお腹いっぱい(^^;)
もっと食べたかったぁ。
改めてまた、訪ねてみたいと思う。
ちなみに、その後は歩いて移動していつものコース・・・。

これまた新居関所前のバー、ZUCCAでカクテル三昧。
いろいろしゃべりました。
徒歩圏内にこれだけのお店、この街の夜。結構楽しい(^^;)

横浜 Lady Blues

(BGMには原由子の「横浜 Lady Blues」をどうぞ)

屈辱的な敗戦からまもなく1週間。
早かったというか長かったというか。
ただ、敵地とはいえ横浜は若かりしころの「憧れの地」。
当時静岡在住だった私にとって、清水港は「遊び場」。
日の出ふ頭や興津ふ頭で夜景やスケボーを楽しんだものだ。
でも、横浜は別格。
ということで、友人たちとちょくちょく深夜車に乗り込み、
箱根を越えて横浜を目指したものだった。
あれから何度か横浜には来たが、ゲームだけ見て帰っていた。
ということで、そんな懐かしい土地を試合終了後に訪ねてみた。


まずは山下公園。
北側のみなとみらい方面に高層ビルが増えた以外は
当時と比べても大きく景色が変わってなくて懐かしい。
今回、マリンシャトルには乗らなかったが、
かつて開通直前のベイブリッジを下から見上げたあの頃を
懐かしみながら、また乗ってみたい。



続いて、赤レンガ倉庫。
当時は新港ふ頭と呼ばれ、港湾機能は新山下や本牧、
大黒ふ頭に主力が移る中で、取り残された感満載だった。
「タカとユージ」が駆け抜けたあの破天荒な刑事ドラマで
よく出てきた記憶。
自分たちもここで「あぶデカごっこ」をやったものだ。
あの頃の「過去の遺物」感はどこへ。
若者が集い、イベントで賑わうステキな街に変わった。



Sちゃん、わかるよね(^^;)
元町から山手に上がったあの坂の上の公園ですよ!!
ここもあんまり景色変わってない。懐かしい!!
目の前にはベイブリッジと新山下から本牧の
ふ頭と倉庫群、そして絡み合うように走る首都高。
夜は夜できれいなのでしょう。
東屋みたいなのが新しくなってました。
最後はこちら。



若い頃の思い出の地と言うよりも、
今は「逃げ恥」ロケ地のイメージが強い、大さん橋。
旅客ターミナルがリニューアルされていてきれいに。
屋上がボードウォークっぽくなっているが、
星野源とガッキーの姿が浮かんで別の意味で懐かし(^^;)
この日は豪華客船「飛鳥」が入っていたのだが、
(一生乗ることはないだろう。)
その反対側のふ頭にはこんな船が。


県立焼津水産高の実習船「やいづ」が、なんと
漁港でもない横浜港大さん橋に接岸!!
後でwebで調べてみたら、この日は実習で横浜に入り、
税関等の見学をしていたとのこと。
ま、そんな遠い場所でもないんだけれど、
思いがけなく異郷の地で同郷の人に会った気分。
がんばれ!!(^^;)

ということで、横浜道中記はこれまで(^^;)

5年に1度は忘れやすい。



連休も残り2日。終了に向けてカウントダウン。
「令和」に向けてのカウントダウンとは異なり、
物憂げでさびしい。
ということで、今日はもう遠出はなし。
家に籠もって、ずっと懸案事項だったアマチュア無線局の
局免の更新に向けて作業をした。
数年間放ったらかしだったから、その間に制度自体も
だいぶ変わっている。
電波形式の表記が訳のわからないものに変わるなど
「?」だが「スプリアス確認保証」ってのが一番わからない。
要は、電波障害の恐れ、ということを持ち出しながら
古い無線機をなるべく廃棄させ、使わせたくないのだろう。
一昨日、埼玉に行く前に秋葉原に寄って、
最新の機械などの情報を少し集めて、買い換えも考えたが、
そうそう使う機会もないので、JARDに保証料を払えば
引き続き使用を認めてもらえるという、保証リストにある
144と430のハンディ機のみを残して、他のバンド分の
機械を「撤去」するという変更申請をまず出した。
変更申請では有効期限は延びないので、変更後に
改めて、今度は更新申請をしなければならないが
致し方ない。
まだ半年以上あるので、一つ一つ段階を踏んで
すっきりさせていきたい。

いのちはめぐる。

昨日の浦和戦の後、都内に宿泊。
しかし今朝は早起きして6時前にチェックアウトした。
行き先はこちら。


皇居。
当初、午前中は都内での予定を入れていなかったのだが、
宮内庁からこの日に一般参賀を行うとの発表を受け、
急遽予定に組み入れ、まだ薄暗いうちに宿を出た。
荷物をコインロッカーに収め、トイレをしっかり済ませ、
和田倉門交差点に並んだのは6時半ぐらいであったか。
過去3回の参賀の中では突出して早い並びだった。
(そりゃそうだ。今まで朝家を出ていたわけだから。)
そのおかげか、午前10時からの1回目の参賀の30分前に
宮殿前に。まずまずの位置を確保できた。
そして、お出まし。


陛下として初めて宮殿ベランダの中央に立たれたお二人。
即位後、初めて一般国民の前に立った瞬間だ。
表情も穏やかでありつつ、どこか強い思いが感じられた。
お言葉の中で、我々国民の健康を気遣ってくださったが、
両陛下こそ、ぜひともお身体を大切にされて
末長く御活躍いただきたい。
それにしても、参賀参列者は14万人とのこと。
単純計算で、国民100人に1人以上がここに来た計算だ。
ということは、関東周辺在住者にとっては、どれだけの
割合でここに来ているんだ!?と思ってしまった。
参賀終了後はこちらへ。

大井町に移った劇団四季「夏」劇場。「ライオンキング」。
今季J1の日程が発表になった後、この連休の浦和遠征を
考え、それとセットでと、2月末にチケットを確保していた。
12年ぶりだと思う。
前回見た時から、自分もいろいろ変わった。
父を亡くして、家を引き継いだこともあったし、
職場での立場も変わった。
シンバがどんな思いで王位を継承する覚悟を決めていくのか、
それを感じたくて座席に座った。
いや、圧倒されまくりの素晴らしい3時間弱だった。
ただ、いのちのつながり、という面はあまりに大きくて、
今回だけでは受けとめきれない自分だった。
またいつか、なるべく間を開けないでもう一度、
ここを訪れてみたいと感じた。
また、今回は久しぶりに「青山ラフィキ」だった。
青山弥生さんの力強く澄んだ「サークルオブライフ」、
そして「お前の中に生きている」、心に響いた。
「マンマ・ミーア」での「ダンシングクイーン」も
よかったけれど、やっぱり青山さんはこれだな。
いいひとときだった。
朝から一般参賀、午後はライオンキング、
「つなぐ」ことの大切さ、難しさを感じながらの一日で、
そんなことをいろいろ考えての帰りの新幹線だった。